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運と運命 「求めよ、されば与えられん」
 「求めよ、されば与えられん」という言葉があるように、何もせずに「何か良いことないかなぁ」と待っていても、良いことの方から転がり込んで来てくれた経験はほとんどありません。

 それでも、偶然の産物である「良いこと」を待ち続けますか...?

 よく、運が良いとか、運命だとかいうことを耳にします。偶然のことのように感じられることも多いですが、実はかなり必然性が高いのではないかと考えるようになりました。
 例えば、無目的に日常を過ごしている場合と、何かの目標や知りたいこと・得たいことがあって日常を過ごしている場合では、自分の中に蓄積される情報量が圧倒的に異なります。後者は、しっかりとアンテナを張り、そこで外部情報をキャッチできるわけです。さらに、目標設定があれば、得た情報を的確に活用することにもつながります。チャンスはそのようなことから生まれます。
 それで、探すことと見つかること(見つけること)は同義ではないかと考えいるところです。付け加えるならば、「運が良い」というのは偶然がもたらすものではなく、巷に転がっているチャンスを自分のものにできるかどうかという資質に左右されるものなのかもしれません。逆に、無目的であればせっかくのチャンスがあっても気づかずに通り過ぎてしまうことでしょう。理想は高いのに、意識が低いためにそのような結果になっている人をよく見かけます。もっとも、本人は気づく由もないのですが・・・。

 関連して述べますと、今の社会には情報が怒濤のごとく溢れています。しかも、その大半はマスコミを中心とした低質・低俗なもので、どうでもいいことだったりします。これらの情報に翻弄されることなく仕分け、必要なものを参照するためには、自己の中に目的意識を持ち、目標設定をすることが重要なのではないかと感じました。

 「求めよ、されば与えられん」ということで、今のこの時代にあなたは何を求めますか?
# by senang | 2006-08-06 23:12 | 【1】地球のリズム
祝! 人口減社会 2 -「横ばい型社会」を構築する-
 昨年末に速報値が出た時にも記事を書かせていただきましたが、人口減少は嘆かわしいことではなく、社会的な問題を生み出すだけのものでもありません。というより、人口が減ってきていることを次の時代の社会を再構築するためのチャンスとすべきです。
「祝! 人口減社会」(2005年12月20日)

 税収が減って公共事業ができなくなる、年金を給付する人口より納付する人口が少なくなっている、このままだと介護保険も厳しい・・・など、人口が減ることによって困難な局面に突き当たります。どんなに知恵を絞っても、既存の社会システムの中で考えている限りにおいては、この局面は決して突破できないでしょう。

 現在の日本の社会システムを疑ってみてください。

 現代の日本社会は、人口が右肩上がりに増え続けることを前提としてつくられています。そのため、人口が減り始めると、税収や年金に支障をきたし、徐々にシステムダウンしてしまうという寸法です。そして、そのうち立ちゆかなくなって破綻することは明白です。
 人口だけではなく、同じ理屈であらゆることが考えられています。経済界、会社の業績、個人の出世、貯金なども、右肩上がりでなければならない、増え続けなければダメだ、という発想に取り憑かれていると言えるでしょう。

 「人口が増える」、「成長し続ける」というタイプの社会を脱皮してみてはいかがでしょうか。「成長型社会」に対し、たちまちは、人口が増えも減りもしない「安定型社会」、言い換えれば「横ばい型社会」を目指す時期に来ていると思います。人口が一定である将来を考えることに、社会システム再構築のヒントがあります。

 もう1つヒントを述べておきます。
 これからしばらくの間は、依然として人口減少が進みます。しかし、首都圏や都市部ではやはり人口が集積され、地方や農山村では人口が減り続けます。人口減社会によって、全国規模で見た1人あたりの資源配分量は増えますが、このままいくと、都市では逆に資源配分が厳しくなって閉塞感を増すこととなり、田舎は資源を使わずに持て余し、放置することになるでしょう。

 関連記事のリンクを記しておきます。お時間がありましたらどうぞ。
 「日本は1億人を養えるか?(その2)」(2006年5月26日)
 「20世紀的価値観から抜け出せ!」(2006年5月11日)
# by senang | 2006-08-06 01:53 | 【1】人類の適正規模
なぜ話が合わないのか? 団塊世代に始まる価値観のズレ
 最近、日本の将来を議論していて、どうにも話の合わないと感じることが多いのです。量的に見れば、僕の考え方が少数派であり異端なのでしょう。しかし、日本の持続性を考えると、どうしても多数派に迎合することができません。
 このブログでは、100年後の将来を考えること、その先鞭として、さしあたりは20年間を見越してみようと考えています。ところが、その基盤部分で見解が共有できない、つまり、価値観が異なるということを数多く体験しています。

 さっき、図書室でたまたま手に取った本を読んでいて、その価値観のズレが構造的であることを表している記述を目にしました。前後の文脈を紹介せずに抜き出しましたが、この部分だけを読んでどのようにお感じになるのかが興味深いところです。

三浦展「団塊世代を総括する」(牧野出版;2005年)22~23ページ
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 (略)自動車やエレクトロニクスを売って、儲けた金で食糧を輸入したほうが安い。そういう仕組みに今の日本はなっている。
 だから、地方でも、農業をするより、土地を売ったり貸したりして大企業の工場やショッピングセンターを誘致した方が得だという価値観が、特にこの20年ほどの間に日本中に広がった。
 しかしそれは本当にわれわれが豊かになったことを示すのだろうか。
 その豊かさは、裏を返せば、その土地に固有の、伝統的な生活様式が崩れた、あるいは薄まったということを意味する。地方らしい、そして日本らしい暮らし方が薄まっていき、そのかわり全国均一の消費生活が広まったのである。
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 共感する方、バカバカしいとお感じになる方、伝統に固執していては進歩がないと考える方、何も感じない方など、様々いらっしゃることと思います。個人的には、少なくともこの文には話が通じない根本原因がズバリと書かれていると感じました。
 戦後~高度経済成長期に始まる消費、経済価値優先、大規模化という20世紀的価値観の台頭、それを決定づけた直近の20年間。このように「自動車やエレクトロニクスを売って、儲けた金で食糧を輸入」するような生活が長く続くわけがありません。せいぜい、あと数年~十数年といったところでしょう。
 ところが、大半の日本人は、これに類する価値観を当然のこと、大前提として無意識に受け入れているのではないでしょうか。生存基盤やアイデンティティが危ういにもかかわらず、何の疑問もなく生きているということが実際のところだと思います。

 ところで、この本のタイトルにもなっているとおり、価値観の構造的なズレが始まったのは団塊世代に端を発すると考えているところです。この世代を20世紀的価値観の尖兵として今の日本を見ていくと、かなり興味深いものがありますね。
 引き続き考えてみたいと思います。
# by senang | 2006-08-05 17:01 | 【1】持続的な生き方
進化とは完成型であり途中型である
進化とは完成型であり途中型である_e0052074_13515545.jpg

 先日、友人と夕食を食べていた時、外灯の明かりにオスのミヤマクワガタがやってきました。その友人、少年時代は昆虫少年だったらしく、クワガタを手にしながら立派なハサミや目の上にある突起に見とれていました。そして一言。

 「これはまさに芸術品だね。進化の完成型かもしれない。」

 この言葉を少し補足すると、今、地球上にいる生物の全てが進化の完成型であり、途中型であるということになります。

 進化の完成型という見方をすれば、環境に合わせて最良の形態を完成させたということが言えます。その「最良」とは、淘汰に勝つために最も適した形であると言い換えることもできます。淘汰に勝つことができているからこそ、今生きていられるということにもなります。
 ワニやシーラカンスは、太古の昔から姿がほとんど変わっていないと言われています。それは、旧式であるというわけではなく、彼らが住んでいる環境において、最適な形をしていたから変化(進化)する必要がなかったということではないかと思います。つまり、完成型であるという見方をすることもできます。

 進化の途中型という意味では、今の形態がこれで固定されるものではないということです。つまり、これから先に環境が変われば、それに応じて形も変わっていくでしょう。例えば、今は淘汰に勝つために最良の形をしている者であっても、気候や植生、そこに住む他の生物との力関係などによって、一転して弱い立場になってしまうということも十分にあり得ます。
 外灯の下には、ミヤマクワガタの後でカブトムシのオスもやってきました。しかし、これが驚くほど小さかった…。単純に考えると、体力面では他のオスに負けてしまい、子孫を残すことができないのではないかといらぬ心配をしてしまいます。しかし、友人が言うことには、他の力強いオスがメスと交尾をしている時、小さいオスは目立たないように近くで待っていて、前のオスの交尾が終わった後で交尾に行くのだとか。確かに、その方が効率的であり、争いを避けることができます。さらに、そのような繁殖方法をとる限りにおいては、小回りのきく小さい身体の方が有利なのかもしれません。なので、小さなカブトムシは劣性個体ではなく、なるべくして小さくなったということです。

 地球上の生物について、「進化に究極型はない」ということが言えるのかもしれません。別の表現をするならば、「環境が変化し続ける限り、生物には絶対的な完成型が存在しない」ということになります。
 地球は常に動いています。そして、地球上の生物における進化とは、その変化に対する柔軟で潜在的な対応力であると言えます。
# by senang | 2006-07-21 14:26 | 【1】地球のリズム
田舎のカフェのスタッフ募集
この場を借りて、人材募集広告を出させていただきます。

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# by senang | 2006-07-14 20:45