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人の意識が変わる可能性はあるのか?
 昨夜、妻と一緒に核拡散防止や核兵器廃絶に湯川秀樹氏が力を注いだという趣旨のテレビ番組を見ていました。被爆国の物理学者である湯川氏らが世界へ向けて核廃絶を訴え続けても、各国は核を放棄するどころか一層軍備を強化し、実験を繰り返していきます。その結果として今の世の中があります。
 ご承知のとおり、核兵器はあらゆるものを根絶やしにします。人間や人間社会だけが滅びるのならまだ良いのですが、地球に対しても然り。環境をことごとく変えてしまった後も汚染が残留します。しかし、湯川氏らが「人間と核は共存できない」というシンプルで当然のことを30年間言い続けても、各国はそれぞれのエゴのためにそれを聞き入れませんでした。その時点で、「国家が正しい」「社会が正しい」という“ごく一般的な”考え方は、明らかに間違っていると言わざるを得ません。番組中のインタビューで、「真実を貫くことのできない人の世は複雑怪奇だ」という趣旨の話があり、まったくそのとおりだと感じました。

 30年経っても全く変わらなかった人間全体としての有り様が、これからの30年や50年で変わるものでしょうか。あるいは、100年経てば変わるものでしょうか。これは核問題だけにとどまらず、人間の価値観や考え方、ひいては行動全般に至る全てについて言えることです。
 これについて、僕は「非常に低いが、可能性がないとは言い切れない」ということを感じています。可能性が非常に低いというより、正確にはゼロに近いということになります。妻もほとんど同様の意見のようですが、「人間全体としてやっていることは何年経っても変わらない」というきっぱりとした見解でした。

 僕は、今後20年程度を目途に社会の仕組みや生き方をガラリと変えることに成功しなければ、人類に未来はないと考えています。今この瞬間も、人口の爆発的な増加に伴って資源収奪と環境汚染は加速しています。資源供給と排出物浄化の許容量である「環境容量」の中で生きる仕組みが不可欠であり、そのために資源の自給とライフスタイルの抜本的な転換をしなければなりません。そのラストチャンスがあと20年そこそこというわけです。

 核をめぐる国の姿勢を引き合いに出すまでもなく、自分の将来を「国が何とかしてくれる」「国の責任だ」「社会が悪い」と人任せにしていると、国や社会とともに滅び去るでしょう。数十年で大衆や体制の意識と行動が変わらない限り、人間社会の破綻は明白なものとなっていきます。
by senang | 2007-05-07 10:43 | 【2】自給について
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