限界集落から始まる自給国家の第一歩
 本ブログchapter1~2で考えてきたことをまとめ、次は実践面に力を入れていこうと考えています。そこで、周辺資源を使った自給的暮らしが一般的に実現可能だということを証明するため、社会実験を開始しました。chapter3では、その様子をレポートしていきます。

 社会実験のフィールドは、YエリアとHエリアにある限界集落。限界集落は、現代文明の端っこと言うことができ、人間が住む場所という観点から「消滅か、撤退か」という表現がされることもあります。実際、高齢化率が100%となり、道路の管理、農業、葬儀、などの地域活動がストップしてしまい、生活が厳しくなっている状況も数多くあります。

 一方、環境問題を解決するための有力な方法として、消費社会を脱却して食糧やエネルギーなどの資源を自給することが挙げられます。現在の先進国では、資源の生産・輸送・消費などが大量の化石燃料によって成り立っています。とりわけ日本は、輸入に頼って存立している国です。この現状を考えずに表層的な環境保護運動を展開しても、ピント外れであると言わざるを得ません。

 自給国家成立のために不可欠な資源が存在している場所は、限界集落が存在するところです。

 chapter3は、ここ50年くらいの間に文明の端っことなった地域から消費社会をひっくり返すことを目的としています。当然ながら、僕1人でできる作業には限界がありますので、様々な人や組織などとつながりをつくりながら進めていく所存です。
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# by senang | 2007-07-31 14:55 | 【3】社会実験の概要
地震、雷、雨、マムシ
 先日、4人で登山道の草刈りを行いました。ちょうど新潟県中越沖地震が発生した日です。大型の台風が通り過ぎた直後でもあり、雨の勢いは衰えていないため、びしょ濡れになりながらの作業です。雨合羽を着ていても、隙間から入ってくる雨と汗と蒸気のために服が濡れてしまい、まるで立っていながら水泳をしているような状況でした。休憩時になっても、腰を落ち着けることができず、何かを食べるわけにもいかず、山道に突っ立ったまま数分間ぼーっとするだけす。
 昼時間にちょうど土砂降りとなり、弁当を広げることもできません。しょうがないので、やはり突っ立ったままで雨の勢いが衰えるのを待ちます。しかし、雨合羽をしたたる雨をうつむき加減で見ているより、少しでも作業をしている方が気分的には楽です。休憩もそこそこに作業を再開しました。

 そうこうしていると、今度は雷が鳴り始めました。その時は山の頂上付近にいたので、すぐ真上で雷が鳴っているように感じます。標高の高いところで聞く雷は迫力がありますね。閃光の後、ゴロゴロゴロ・・・ガラガラガラ・・・という音があっちからこっちへ駆けめぐり、サラウンド状態で響き渡ります。不意に閃光や大きな音があると思わず首をすくめてしまいますが、当然ながら効果はありません。金属製の機材を持って突っ立っている僕達は、「ここへ落ちてください」と言わんばかりの状況です。

 ヒヤヒヤしながらも作業が終盤近くにさしかかった時、先頭に立って山を下っていた僕の足下付近で何かが少しだけ動きました。立ち止まって目を凝らすと、登山道の真ん中に赤みがかったマムシがいます。枯れた葉と同化しており、動かなければ見分けがつかずに踏んでいたかもしれません。ヘビが大嫌いな僕は、反射的に「うわっ!」と声をあげてしまいました。
 待ってもどいてくれる様子がないため、草刈り機の先でマムシの周辺をカンカンと叩いてみました。それは逆効果だったようで、クルリとこちらへ向き直って頭をもたげます。それでも、気分を損ねずにどこかへ行ってくれるよう、草刈り機を振り回したり話しかけたりしていると、ゆっくりと動きながら山の斜面へ消えてくれました。

 作業が終わった後、一緒にいた人に顛末を話すと、「マムシは危ないから草刈り機で切ってしまえばいい」と言われました。確かに、麓まで歩いて数時間もかかるようなところで噛まれたら大変ですし、そのまま放置しておけば後続の人にもその危険は及びます。しかし、ヘビが嫌いな僕にとって、ヘビを切るのはとてつもなく嫌なことです。ヘビが嫌いでないとしても、切り捨てるようなことはしたくないというのが正直な気持ちです。

 この度はマムシ。去年はツキノワグマ。山では時として命の危険にさらされる動物に出会うこともあります。それは人間が生き物の生息圏を通ることによって起こる遭遇です。なので、行く先に彼らがいたとしても、こちらが遠回りをして、血を見るような衝突は避けたいと思います。
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# by senang | 2007-07-18 11:43 | 【2】環境との対話
コゲラの毛づくろい
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 先日、家の机でパソコンで作業をしていた時のこと。モニターから目を離し、何気なく窓の外を見ると、目の前のヒノキの瘤が何やら動いています。裏山の外縁にある木で、一番家に近いところに立っている木です。何だろうと目をこらすと、コゲラがくっついていました。
 器用に木の幹と平行にとまり、休むことなくモゾモゾしています。「何をしているんだろう?」と目をこらすと、羽根や背中などをこまめに手入れしていました。毛づくろいも垂直でするんですね。その間、ずっと木にしがみついているわけですから、脚力と尾の力は相当なものだと感じました。
 「ギィーッ、ギヤァーッ」と、最近は聞き慣れない声がすると思ったらコゲラだったんですね。小さな身体に似合わず、割と濁った声です。声の正体がわかり、すっきりしました。
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# by senang | 2007-07-12 23:00 | 【2】環境との対話
人間の矛盾 -「ライブ・アース」に寄せて-
 僕は、現在の人間の精神レベルにおいてという前提のもとで、地球が深刻なダメージを被る前に地球温暖化対策を成功させることは無理だと感じています。これは、決して「何もしなくてもよい」と言っているのではありません。むしろその逆です。
 温暖化対策は勿論のこと、地球上の資源を収奪し尽くさない生き方、地球を壊さない生き方を実現することは、今の我々が何はさておき成し遂げなければならないことだと考えています。そのために、地球のことを考える意識を広める先行投資は大いにすべきです。必要なことだと思います。ただ、「温暖化を防ごう!」と言いつつ膨大なエネルギーを消費するイベントは、逆に温暖化を促進していることになります。ここに大きな矛盾があるのではないでしょうか。イベントの広告効果を問う以前に、地球の資源を収奪しながら「地球を守ろう」と言っていることに疑問を持ってしまいます。

 1つ前の記事で言いたかったことは、この矛盾を見ずに環境保護を訴えても、人間の自己満足や偽善に終わってしまうということです。当事者である地球は(地球に人格があるとすれば)、そんな人間の矛盾に満ちた行動は受け入れてくれないんじゃないかなぁと感じます。

 地球上の資源は限られているにもかかわらず、人間の文明はその上限値に達しつつあります。地球の近未来を展望すると、人間が現在の成長を続ければ、数十年後には水・エネルギー・食糧が枯渇するということは明白です。つまり、環境保護を資源の大量消費路線において行っても、来るべき日は来てしまうということになります。
 これに対処するために、「こうする方法もあるよ」と提案を出すのは、とても重要なことですね。僕は、小手先のことだけではなく、現代人の生き方や価値観を根本的に変えなければ効果はないと考えています。それは、地球の資源は有限であることをしっかりと認識して、限りある資源を持続的に使う生き方を再構築することに他なりません。そのためには、次の発想が必要だと考えています。
 ■化石燃料と決別すること。
 ■再生産できるエネルギー(バイオマスなど)を使うこと。
 ■他所の資源を膨大なエネルギーを費やして持って来ないこと。
 ■手近にある資源を有効に使って暮らすこと。

 これらを実現するための生き方として、僕は資源の自給に着目しているところです。具体的には、拙ブログの記事をご覧いただければ幸いです。

 この記事は、green_feelsさんのコメントをきっかけに書かせていただきました。機会を与えていただいたことにお礼申し上げます。
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# by senang | 2007-07-10 18:47 | 【2】自給について
人間には環境保護が無理であることを露呈したイベント
 「ライブ・アース」。これまた不都合なことがオンパレードのイベントですね。地球温暖化防止や環境保護を訴えているにもかかわらず、大規模なコンサートに要する電力、1箇所に大勢の人間が集結することに要するエネルギー、イベント開催や広報に費やされる紙などを考えると、大量の資源消費をしていることは明白です。しかも世界規模で。
 温暖化防止や環境問題について人類の理解を求めようとするのであれば、まずは無駄なイベントやメディアに費やしているエネルギーを抑え、その分でできる範囲の行動をすべきではないかと思います。現状を野放しにしながら、さらに大きなエネルギーをかけて環境問題を訴えてしまったわけですから、そのメッセージは俄然嘘っぽくなってしまいました。
 名だたるミュージシャンが参加したものの、下手なMC(下記)で環境問題に対する認識の低さを露呈してしまったようです。彼らがこれからの世代をリードすることが無理であることを決定づけたと言ってもよいでしょう。「本当に地球のことを考えるのなら、こんなイベントはしない方がよい!」ということくらい言った確信犯的出演者はいなかったのでしょうか。

 現代は、「ライブ・アース」が何の疑問もなく受け入れられてしまう社会です。そう考えると、温暖化や環境破壊のリミットが来てしまう前に、環境容量をしっかりと見据えた社会をつくるなどということは、到底無理なのかもしれません。

温暖化防止へ倖田来未らが熱唱
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# by senang | 2007-07-09 10:08 | 【2】エネルギー
自給十箇条<chapter2中間まとめ>
 chapter2の中間まとめとして、これまでの自給的生活でわかったことや感じたことをまとめておきます。

■生存の大命題「環境容量の中で生きる」
 これは常々言わせていただいていることであり、個人や世帯の生き方のみならず、地球上に生きる全人類に共通するルールです。
 環境容量の中で生きることは、太陽エネルギーをベースとした様々な成長量と言い換えることができます。例えば、動植物が1年で成長する分を1年かけて消費すると表現するとわかりやすいと思います。収奪しすぎないように、持続的な暮らしの設計が必要になります。
 さらに、資源の消費や収奪について考えるだけではなく、それをどのように使うのかについても熟考を要します。今の暮らしぶりを見直さずにインプットだけを考えていてもいけないということです。このまま人口が増えれば、地球の環境容量はすぐに上限に達してしまうでしょう。そうならないように、環境容量を絶対的な上限に据えて、多少不便になっても無駄や浪費のない生活を再構築することも必要になります。
限界を認識する
あなたは生活レベルの低下に耐えられますか?
新しいモノサシ 「地球を壊すか・壊さないか」
経済学者・人口学者のロジック

■1家族に必要な面積は3~4ha?
 理論値ですが、5人家族が持続的に生活するために必要な面積は、農地0.15ha、林地3.25ha。合計すると3.4haの土地が必要ということになります。ただしこれは、華美で浪費的な暮らしに基づくものではなく、最小限の生活を送るために必要な資源量を前提としたものです。
 我が家が使用・管理している敷地は全部で約3haあり、だいたいこの数値に当てはまります。農地は十分すぎるくらいあって管理が大変なのですが、燃料を採るための山林がやや少ないかなという気がしています。
日本は1億人を養えるか?(その1)
日本は1億人を養えるか?(その2)
日本は1億人を養えるか?(その3)
18立方メートル/36本

■備えあれば憂いなし/自給は1日にして成らず
 自給生活の基本です。土地があること(所有ではなく利用する余地があること)、それを使える状態に手入れしてあること、そこから得られる資源が確保できていることなどが自給の備えになります。これは、必ずしもお金で買えるものではないということから、事前の準備やそれなりの手入れが必要になります。逆に、これらが備わっていない場合、様々な面で歪みが生じてくると思います。
 この備えは、一朝一夕にできるものではありません。薪を例に取ると、秋に木を伐り、冬を越して春になって割り、夏の間は寝かせて冬が来たら使うことができます。次の年のことを考えた段取りと作業が必要になります。
 異常気象があった場合なども、さらにこのことを強く感じます。今年の冬は少雪だったため、山に水が少なく、たちまち今年の作況に影響しています。
間伐 山の手入れと燃料生産
環境の連鎖 暖冬のツケは夏にやってくる?
備えあれば憂いなし

■資源を最大限に活用する手入れが不可欠
 約3haという我が家の管理エリアは、実は相対的な生長量がかなり多いです。それでも、現状では十分な自給資源を確保できてはいません。その原因は、面積の大小にあるのではなく、生長量を効率よく使うことができていない点にあります。
 例えば、3haの大半の生長量が野の草に回ってしまってはいけません。野菜や燃料用材に集中して使われるように手をかけることが必要です。その手入れを怠ると、せっかくの資源も宝の持ち腐れと化してしまいます。
捨てられた農地、取り残された集落

■手入れのために2~3時間/日・人が必要
 手入れを行うためには、ある程度の手間と時間がかかります。イニシャル人役は除外して、ランイング人役のみを試算すると、最低でも2~3時間/日・人の労力が必要となります。これは平均値ですので、農繁期、燃料用材の伐採、薪づくりなどのシーズンには、さらに手間がかかることになりますし、逆に生長量が低くなる(ほとんど0になる)冬季はそれほどの人役を必要としません。
早朝チェーンソー
イニシャルとランニング

■資源の効率的利用は「個別分散」ではなく「集合」で実現
 限られた資源でより多くの人間が生存するためには、効率の良いエネルギーの使い方をする必要があります。暖房で部屋を暖めたり風呂を沸かしたりする場合、1人でも5人でも必要なエネルギー量は変わりません。ならば、できるだけ集約的な暮らし方を考えることも有効です。 個別化・個人化の流れに逆行し、集団化・集合化を意識した住居のつくりや生活のリズムを考えることが有効です。
エネルギー効率から家族の適正規模を考える

■経済的価値観を否定する
 現代社会は専門分化することによって発展してきたと考えることができます。例えば、働いている人々の多くは、特定の分野で技能や知識をきわめて第三者へ提供するかわりに、生存に必要な他の物資、技術、知識などを他者から得ています。その媒介を果たしているのがお金です。
 自給とは、自分(達)のために資源を供給することです。つまり、他者とのやり取りが必ずしも前提条件ではありませんので、どんなに作業をしても儲からないことが普通です。つまり、自給的生活に必要な労力などをお金の単位に換算することがナンセンスであり、自給的生活は経済的価値観(損得勘定)をある程度まで否定しなければ成り立たないという性質のものでもあります。
「買えば済む」という生活はいつまで続くのか?

■自給にはマルチ性が求められる
 経済的価値観を否定する過程では、お金を出せば何でも解決するということも否定することになります。そうなると、生活の中では様々な作業を自分でこなさなければなりません。例えば、日々の家事は勿論のこと、日曜大工、農作業、林業などがあります。当然ながら、これらは商売ではなく自分の生活のために実施するものです。
 大抵の作業を自分でこなすことになるので、相応の技術力、すなわちマルチ性を身につけることが重要になります。
 最初からマルチな人はいません。少し器用な人はそこそこいますが、マルチ性を高めるには器用さ以上に必要な要素があります。それは、自分で自分の暮らしをつくるというクリエイティブな性質(性格)です。不器用ながらも、多くの失敗と少しの成功や達成を繰り返しながら生活することが、マルチ性を高める近道だと思います。
自給生活にはマルチ性が求められる

■貧困に飲み込まれないために
 様々な作業を「しなければならない」と思いながら追われるようにこなしていると、精神的な負担が増します。そんな暮らしではクリエイティブさが発揮できませんし、何より長続きしません。そもそも楽しくありません。精神的貧困に陥ってしまい、全てが悪い方向へ向かってしまいます。
 そこで、生活に遊び心を取り入れ、楽しみながら作業を進めることが自給生活を楽しむコツになります。実生活ベースで自給をしていると、生活に欠かせない燃料や食糧を得るなど、どうしてもクリアしなければならない作業もあります。しかし、それらも含めて生き方そのものをデザインするという感覚が必要です。また、人を迎えることを常に意識した暮らしを送ることも、同様の効果があります。
実用重視
design & entertain

■生き方を見つめ直す
 自給は自然から隔絶されたところで実践することは難しく、資源とその生産の場に近いところでの生活が基本となります。あらゆる動植物に近いところにいると、自分が1人で生きているわけではないことを直感します。同様に、人間は人間がつくった世界だけでは生きられないことも思い知らされます。
 我々は周囲(環境)との関係において生かされており、それを生き方の基本に据えることが必要です。それは現代人が失ったものであり、また、一番必要なことでもあります。自給的生活を通して、そんな当たり前の感覚を呼び覚ますことができます。
4人と数万匹
農家とカエルの関係から「生物との共生」を考える
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# by senang | 2007-06-29 17:50 | 【2】自給について
ヤマガラの雛
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 昨日の昼、妻が鳥の雛を拾ってきました。道路の真ん中にうずくまっていたらしく、このまま放っておくと車に轢かれるかヘビなどに食べられるといった結末が待っているということでした。巣立ち直前に巣から落ちたようで、まだ飛ぶことができません。草を敷き詰めた小さな箱に入れると、隅っこへ行ってじーっとしています。
 羽が生えそろっておらず、頭には産毛が残っています。色合いからして、きっとヤマガラの雛のようです。

 「何を食べるのかな?きっと虫だろう。」

 ということで、妻は汗だくで虫取り網を振り回し、チョウやバッタを追いかけていました。捕った虫を割り箸に挟んで与えるのですが、口を開きません。なので、半ば無理矢理口をこじあけ、虫をねじ込みました。そうこうしていると、そのうち自分から口を開けるようになり、羽をふるわせて鳴きながら餌をせがむようになりました。
 今朝は早くから鳴いて餌を催促していました。妻は再び網を振り回し、虫を捕っていました。その後、知り合いの畑へ青虫を捕りに出かけたようです。

 あと数日もすれば飛ぶことができるでしょう。それまでのしばらくの間、我が家にいてもらおうと思います。

鳥の命と虫の命
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# by senang | 2007-06-28 15:51 | 【2】環境との対話
【chapter2】から【chapter3】&【chapter4】へ
 拙ブログ【chapter2】では、自給をテーマに実験的実生活を進めてきました。しかしそれは、自己満足的に自給的生活をきわめるという趣旨ではなく、自給のためにはどれくらいの資源(土地など)が必要なのかという目的に基づくものです。詳細は、chapter2のテーマをご覧ください。
 そのため、広い農地と林地がある家に引っ越しました。引っ越してまだ7ヶ月で、1シーズンも経過しておりません。また、自給のために必要な作業が思うように進んでいません。従って、周囲の資源とともに生きるという暮らしぶりは、実現しているとは言い難い面があります。
 当然、これからも今の生活を続け、個人や世帯というレベルでの自給の可能性、自給のためにすべきことを追求していこうと考えています。そして、自給という行為や暮らしぶりから見えてくるものについて、さらに整理をかけていこうと思います。

 この度、まだ中途半端な状態ではありますが、chapter2からchapter3さらにchapter4へ移行しようと思い立ちました。実際にはchapter2は進行中ですので、chapter2と3と4が同時並行するということになります。

 chapter3では、未利用資源を具体的に活用する実験を行います。それは、chapter2で試してきた個人や世帯のレベルでの自給ではなく、エリアや関係者ともにもう少し広い範囲での活動になります。具体的には、Y自治区での社会実験を3ヶ年計画で実践していきます。それを克明に記録する意味も含めて、ブログに綴っていこうと考えています。ただし、これは本ブログとは別のブログを立ち上げることになるかもしれません。
 この社会実験から、来るべき資源枯渇時代に備える考え方や技術の基礎を見いだしたいと思います。15~20年後くらい先には、日本の未利用資源に注目が集まっていると予測しています。その時に、行きすぎた資源収奪や非持続的な開発をしないよう、環境容量に従ったルールをつくり、利用技術を確立しておきたいところです。

 chapter4では、さらに先の世の中を描きたいと思います。2030年代から2100年頃にかけての将来像です。とはいえ、緻密な予測は難しく、僕は予言者でもないため、フィクション的な要素を多く盛り込みながら、小説という形で未来を描いていく予定です。
 フィクションは、必ずしも娯楽的要素だけではないと考えています。そのあたりのことについては、別サイト極楽(Fiction World)おわりにで述べさせてもらっています。

(「極楽」(Fiction World)」より抜粋)
 現実社会の成り行きは、人々が考えていることや行いの結果だと思います。そして、人々が考えていることは、多かれ少なかれ空想(幻想)に依拠している部分があります。そうであれば現実ではないことにも大いなる意味があるのかもしれません。フィクションを世に出し、それを読んでいただくことで複数の人々に共通のイメージを想起させ、世の中が変わっていくという可能性もあり得るわけです。

 ということで、近々本ブログをリニューアルし、再出発したいと考えているところです。

 これまで拙ブログへお越しいただき、また、コメントをいただいたみなさま、本当にありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いいたします。
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# by senang | 2007-06-27 18:44
Y自治区での社会実験
 近々、資源の自給と循環のための大々的な社会実験に着手します。限界集落エリアで、土地資源の再評価、放棄されている農地の復活、エネルギーの確保、生業の創出など、自給的暮らしを実現するための条件整備を行います。現在、そのための調整作業に追われているところです。

 人口1,600人のY自治区。そこが実験フィールドです。この地区を対象に、環境容量がどれだけああるのかを土地面積から試算してみました。

  農地面積325ha÷必要農地面積0.15ha/世帯
  =2,167世帯 ×5人=10, 833人

  森林面積8,910ha÷必要林地面積3.25ha/世帯
  =2,742世帯×5人=13,707人

 Y自治区には、ざっと住民の7倍の人数を養える資源蓄積があります。

 今回実験を行うのは、この中でも限られたエリアです。とっかかりとしては、1つの谷やまとまった農地(耕作放棄地)などが対象となるでしょう。下の写真をご覧いただければ、どんなところなのかがだいたいイメージできると思います。
 プロトタイプですので規模が小さくなってしまうことは否めませんが、最低でも上記の計算式にある1世帯あたりに必要な土地資源(農地0.15ha・林地3.25ha)に毛が生えた程度は確保したいと考えています。
 まずはここの環境容量を計測し、それに基づいて自給的生活を送るために利用可能な資源量、インフラ整備、人役、時間、人間関係(コミュニティ)などを忠実に積算したいと考えています。そうすることによって、上記の机上計算の誤差を修正することができます。さらに、必要人数と扶養可能人数のバランスについても考えることができます。
 これはきっと、全国的に里山資源を再利用する際のガイドラインとなることでしょう。例えば、全くの未利用資源に対して、○円・△人役を投入すれば□人の生存が可能となるという試算ができます。それが基盤となり、○円の予算でどれだけの資源自給を実現できるかという政策論議につながります。農業政策も、本来はこのようなベースがあってこそ初めて成り立つと思います。
 ま、最初からあまり硬い話をするのも無粋なので、まずは夢を描いたり、楽しいアイディアを出し合ったり、汗をかいて作業をしたりできる仲間集めから始めようと思います。多様な関わりが生まれるといいなと考えています。

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# by senang | 2007-06-21 11:09 | 【2】自給について
木苺
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 職場に大きな木苺の木があるので、夕方に摘みに行きました。1つの木に、オレンジ、朱色、赤、黒っぽい赤など、様々な色の実がなっていました。トゲで手が傷だらけになりながら、30分くらいかけてかなりの量を採りました。それでも、ジャムにするにはまだまだ足りません。木苺の時期はもうしばらく続きますので、また時間を見つけて摘みに行こうと思います。

 息子の通学路にも木苺があるらしいです。最近、学校からの帰りが遅いらしく、何をしているのか訪ねたところ、通学路沿いにある墓場に木苺があり、それを食べているとのこと。黄色い実と赤い実の2種類の木があり、黄色い実の方が美味しいと言っていました。僕も黄色い実の方が好きです。ジューシーで、喉が渇いている時などは特に美味しいですね。

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# by senang | 2007-06-20 18:14 | 【2】食と農