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里山レンジャー説明会
 具体的に社会実験を担う人材として、里山プランナーと里山レンジャーを想定しています。両者について6~7月のところで公募を行いました。

 里山プランナーは、現場での段取り役・調整役です。社会実験を進めるにあたって、どの場所で何をするかを企画したり、必要な道具の確保や準備を進めたり、住民や関係者組織などと交渉を行ったりします。
 公募&選考の結果、5名が確定しました。4人が30歳代で、1人が50歳代です。予想以上に専門性の高い人材が集まりました。うち1名はYエリアに住み込み、現場密着型で作業を進めることにしています。あとの4名は月に数日程度来ていただき、調査を行うと同時に専門的な見地からのアドバイスをいただきます。

 「里山レンジャー」は、大学生を中心に組織される実戦部隊。集落での調査の他、草刈り、放牧、廃屋の改修、エネルギー作物の栽培などに携わる予定です。
 昨日、里山レンジャーへの説明会を行いました。「里山の資源を活かした社会実験」というキーワードに、焼き畑や空き家改修のイメージ写真が載ったポスターをみて応募いただいた方々です。応募があったのは、結果的に20名を超え、説明会に来たのは13名。
 きっと、ポスターだけでは何をするのかわからなかったと思います。なので、説明会では具体的な作業を細かく説明いたしました。それでも、「これまでうち捨てられていた資源を使う」という前例があまりないため、内容がうまく伝わらなかったかもしれません。説明後は質問や意見が1つも出ませんでした。というより、彼ら・彼女らには里山での作業や手入れについて実体験がないために、具体的なイメージがつかめなかったのかもしれません。

 里山レンジャーの20人がいかに楽しみと主体性を持つことができるか?それが社会実験の成功の鍵だと思います。説明会では質問も何もありませんでしたが、大学の授業とは違って、自分で企画して動いていくことの難しさと面白さを感じてほしいと思います。
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by senang | 2007-07-31 17:07 | 【3】スタッフ
ウッドボイラー
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 つい最近まで、ウッドボイラーなるものがあることを知りませんでした。ふとした拍子にそのカタログを目にし、早速販売店を訪ねました。
 ウッドボイラーがどのようなものかを簡単に紹介すると、次のようなものです。
  木質系燃料を使用した給湯システム。
  何でも燃焼可能。燃料投入口が広く、大きな材でも大丈夫。
  ジャケット二重構造(窯を水が取り囲んでいる)で熱効率と安全性が高い。
  本体内の水中を給湯配管が通っており、それを加温してお湯になる。
  給湯とは別に、不凍液を循環させれば床暖房も可能。
  燃料投入後、30~40分で給湯可能。

 販売店によると、ウッドボイラーを取り扱って6年程度になるとのこと。3~4年前から急激に注目されるようになり、冬だけではなく夏にも問い合わせが多くなったそうです。導入の8割が家庭用で、用途はセカンドハウスへの設置、露天風呂用、自給自足的生活の一環など。最近は、燃料代の高騰のため、農業(ハウス、菌床)、旅館での導入が多くなってきました。

 このボイラーの凄いところは、立木からつくった薪は勿論のこと、建築廃材、竹、紙など何でも燃やすことができる点です。木を家や素材として使った後、役目を終えた材の再利用が可能で、山と暮らしの循環系ができます。立木を薪にして使う薪ストーブや、燃料の製造に高度な加工機械が必要なペレットストーブに比べると、燃料はあちらこちらに転がっていると言えるでしょう。

 また、床暖房を導入すれば、他に冬季の暖房は不要。実際に、灯油代やガス代が0円となった事例も多くあります。

 燃費を計算したところ、季節によって変動はありますが、おおむね次のような数字になりました。
  冬:5~6本/日=0.06立方メートル
  夏:1本/日=0.01立方メートル
 比較として、我が家の薪ストーブは、1日あたり0.1立方メートルの薪を消費します(冬季)。ウッドボイラーは、その6割程度の燃料で給湯も暖房もできるということになります。

 そんなに優れものなら、さぞかし値段も高いのだろうと思っていたのですが、本体と設置費は、給湯のみで60万円、床暖房をつけるとプラス60万円。全部で120万円あれば導入可能です。

 我が家は、薪ストーブのみで軽く120万円以上かかりました。勿論、これに給湯システムはついていません。1年くらい前にウッドボイラーの存在を知っていたら、こちらを導入していたことでしょう。

 ところで、これからのエネルギーは、L.S.P.を基本コンセプトにすべきだというのが僕の持論です。できるだけ地域密着型で生産・消費し(Local)、大規模なものではなく小規模分散型で(Small)、仕組みができるだけ単純で(Simple)、生産・入手しやすいもの(Popular)というものです。ウッドボイラーは、これを実現するための装置として、しかも家庭レベルで取り組み可能なものとして注目しています。社会実験でも機会があれば導入して実験してみたいと考えています。
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by senang | 2007-07-31 14:59 | 【3】道具・機械・場所
限界集落から始まる自給国家の第一歩
 本ブログchapter1~2で考えてきたことをまとめ、次は実践面に力を入れていこうと考えています。そこで、周辺資源を使った自給的暮らしが一般的に実現可能だということを証明するため、社会実験を開始しました。chapter3では、その様子をレポートしていきます。

 社会実験のフィールドは、YエリアとHエリアにある限界集落。限界集落は、現代文明の端っこと言うことができ、人間が住む場所という観点から「消滅か、撤退か」という表現がされることもあります。実際、高齢化率が100%となり、道路の管理、農業、葬儀、などの地域活動がストップしてしまい、生活が厳しくなっている状況も数多くあります。

 一方、環境問題を解決するための有力な方法として、消費社会を脱却して食糧やエネルギーなどの資源を自給することが挙げられます。現在の先進国では、資源の生産・輸送・消費などが大量の化石燃料によって成り立っています。とりわけ日本は、輸入に頼って存立している国です。この現状を考えずに表層的な環境保護運動を展開しても、ピント外れであると言わざるを得ません。

 自給国家成立のために不可欠な資源が存在している場所は、限界集落が存在するところです。

 chapter3は、ここ50年くらいの間に文明の端っことなった地域から消費社会をひっくり返すことを目的としています。当然ながら、僕1人でできる作業には限界がありますので、様々な人や組織などとつながりをつくりながら進めていく所存です。
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by senang | 2007-07-31 14:55 | 【3】社会実験の概要
地震、雷、雨、マムシ
 先日、4人で登山道の草刈りを行いました。ちょうど新潟県中越沖地震が発生した日です。大型の台風が通り過ぎた直後でもあり、雨の勢いは衰えていないため、びしょ濡れになりながらの作業です。雨合羽を着ていても、隙間から入ってくる雨と汗と蒸気のために服が濡れてしまい、まるで立っていながら水泳をしているような状況でした。休憩時になっても、腰を落ち着けることができず、何かを食べるわけにもいかず、山道に突っ立ったまま数分間ぼーっとするだけす。
 昼時間にちょうど土砂降りとなり、弁当を広げることもできません。しょうがないので、やはり突っ立ったままで雨の勢いが衰えるのを待ちます。しかし、雨合羽をしたたる雨をうつむき加減で見ているより、少しでも作業をしている方が気分的には楽です。休憩もそこそこに作業を再開しました。

 そうこうしていると、今度は雷が鳴り始めました。その時は山の頂上付近にいたので、すぐ真上で雷が鳴っているように感じます。標高の高いところで聞く雷は迫力がありますね。閃光の後、ゴロゴロゴロ・・・ガラガラガラ・・・という音があっちからこっちへ駆けめぐり、サラウンド状態で響き渡ります。不意に閃光や大きな音があると思わず首をすくめてしまいますが、当然ながら効果はありません。金属製の機材を持って突っ立っている僕達は、「ここへ落ちてください」と言わんばかりの状況です。

 ヒヤヒヤしながらも作業が終盤近くにさしかかった時、先頭に立って山を下っていた僕の足下付近で何かが少しだけ動きました。立ち止まって目を凝らすと、登山道の真ん中に赤みがかったマムシがいます。枯れた葉と同化しており、動かなければ見分けがつかずに踏んでいたかもしれません。ヘビが大嫌いな僕は、反射的に「うわっ!」と声をあげてしまいました。
 待ってもどいてくれる様子がないため、草刈り機の先でマムシの周辺をカンカンと叩いてみました。それは逆効果だったようで、クルリとこちらへ向き直って頭をもたげます。それでも、気分を損ねずにどこかへ行ってくれるよう、草刈り機を振り回したり話しかけたりしていると、ゆっくりと動きながら山の斜面へ消えてくれました。

 作業が終わった後、一緒にいた人に顛末を話すと、「マムシは危ないから草刈り機で切ってしまえばいい」と言われました。確かに、麓まで歩いて数時間もかかるようなところで噛まれたら大変ですし、そのまま放置しておけば後続の人にもその危険は及びます。しかし、ヘビが嫌いな僕にとって、ヘビを切るのはとてつもなく嫌なことです。ヘビが嫌いでないとしても、切り捨てるようなことはしたくないというのが正直な気持ちです。

 この度はマムシ。去年はツキノワグマ。山では時として命の危険にさらされる動物に出会うこともあります。それは人間が生き物の生息圏を通ることによって起こる遭遇です。なので、行く先に彼らがいたとしても、こちらが遠回りをして、血を見るような衝突は避けたいと思います。
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by senang | 2007-07-18 11:43 | 【2】環境との対話
コゲラの毛づくろい
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 先日、家の机でパソコンで作業をしていた時のこと。モニターから目を離し、何気なく窓の外を見ると、目の前のヒノキの瘤が何やら動いています。裏山の外縁にある木で、一番家に近いところに立っている木です。何だろうと目をこらすと、コゲラがくっついていました。
 器用に木の幹と平行にとまり、休むことなくモゾモゾしています。「何をしているんだろう?」と目をこらすと、羽根や背中などをこまめに手入れしていました。毛づくろいも垂直でするんですね。その間、ずっと木にしがみついているわけですから、脚力と尾の力は相当なものだと感じました。
 「ギィーッ、ギヤァーッ」と、最近は聞き慣れない声がすると思ったらコゲラだったんですね。小さな身体に似合わず、割と濁った声です。声の正体がわかり、すっきりしました。
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by senang | 2007-07-12 23:00 | 【2】環境との対話
人間の矛盾 -「ライブ・アース」に寄せて-
 僕は、現在の人間の精神レベルにおいてという前提のもとで、地球が深刻なダメージを被る前に地球温暖化対策を成功させることは無理だと感じています。これは、決して「何もしなくてもよい」と言っているのではありません。むしろその逆です。
 温暖化対策は勿論のこと、地球上の資源を収奪し尽くさない生き方、地球を壊さない生き方を実現することは、今の我々が何はさておき成し遂げなければならないことだと考えています。そのために、地球のことを考える意識を広める先行投資は大いにすべきです。必要なことだと思います。ただ、「温暖化を防ごう!」と言いつつ膨大なエネルギーを消費するイベントは、逆に温暖化を促進していることになります。ここに大きな矛盾があるのではないでしょうか。イベントの広告効果を問う以前に、地球の資源を収奪しながら「地球を守ろう」と言っていることに疑問を持ってしまいます。

 1つ前の記事で言いたかったことは、この矛盾を見ずに環境保護を訴えても、人間の自己満足や偽善に終わってしまうということです。当事者である地球は(地球に人格があるとすれば)、そんな人間の矛盾に満ちた行動は受け入れてくれないんじゃないかなぁと感じます。

 地球上の資源は限られているにもかかわらず、人間の文明はその上限値に達しつつあります。地球の近未来を展望すると、人間が現在の成長を続ければ、数十年後には水・エネルギー・食糧が枯渇するということは明白です。つまり、環境保護を資源の大量消費路線において行っても、来るべき日は来てしまうということになります。
 これに対処するために、「こうする方法もあるよ」と提案を出すのは、とても重要なことですね。僕は、小手先のことだけではなく、現代人の生き方や価値観を根本的に変えなければ効果はないと考えています。それは、地球の資源は有限であることをしっかりと認識して、限りある資源を持続的に使う生き方を再構築することに他なりません。そのためには、次の発想が必要だと考えています。
 ■化石燃料と決別すること。
 ■再生産できるエネルギー(バイオマスなど)を使うこと。
 ■他所の資源を膨大なエネルギーを費やして持って来ないこと。
 ■手近にある資源を有効に使って暮らすこと。

 これらを実現するための生き方として、僕は資源の自給に着目しているところです。具体的には、拙ブログの記事をご覧いただければ幸いです。

 この記事は、green_feelsさんのコメントをきっかけに書かせていただきました。機会を与えていただいたことにお礼申し上げます。
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by senang | 2007-07-10 18:47 | 【2】自給について
人間には環境保護が無理であることを露呈したイベント
 「ライブ・アース」。これまた不都合なことがオンパレードのイベントですね。地球温暖化防止や環境保護を訴えているにもかかわらず、大規模なコンサートに要する電力、1箇所に大勢の人間が集結することに要するエネルギー、イベント開催や広報に費やされる紙などを考えると、大量の資源消費をしていることは明白です。しかも世界規模で。
 温暖化防止や環境問題について人類の理解を求めようとするのであれば、まずは無駄なイベントやメディアに費やしているエネルギーを抑え、その分でできる範囲の行動をすべきではないかと思います。現状を野放しにしながら、さらに大きなエネルギーをかけて環境問題を訴えてしまったわけですから、そのメッセージは俄然嘘っぽくなってしまいました。
 名だたるミュージシャンが参加したものの、下手なMC(下記)で環境問題に対する認識の低さを露呈してしまったようです。彼らがこれからの世代をリードすることが無理であることを決定づけたと言ってもよいでしょう。「本当に地球のことを考えるのなら、こんなイベントはしない方がよい!」ということくらい言った確信犯的出演者はいなかったのでしょうか。

 現代は、「ライブ・アース」が何の疑問もなく受け入れられてしまう社会です。そう考えると、温暖化や環境破壊のリミットが来てしまう前に、環境容量をしっかりと見据えた社会をつくるなどということは、到底無理なのかもしれません。

温暖化防止へ倖田来未らが熱唱
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by senang | 2007-07-09 10:08 | 【2】エネルギー