<   2007年 03月 ( 6 )   > この月の画像一覧
N氏の営農と生活の改善 その4
 改善作業は農業だけにとどまらず、家屋のリフォームにも及びました。時系列で見ていくことで、農家の近代化の足取りがうかがえます。

e0052074_20324786.jpg

  ↓
1950年当時の間取りです。明治時代に建てられたもので、シンプルなつくりをしています。牛舎が家の中にあること、トイレと風呂が外に面していることが特徴的です。そして、家族個々人のプライベートを保つスペースがほとんどありません。

e0052074_20325871.jpg

  ↓
 リフォーム後(1956年)の間取りです。左端を増築し、「勉強部屋」と「主婦部屋」がつくられています。さらに、台所周辺も増築・改築し、使い勝手を良くしています。

e0052074_20331593.jpg

  ↓
 2006年秋、僕が入居した時の間取りです。1956年の間取りに加筆しました(緑の部分)。1980年頃の大規模なリフォームをはじめ、1956年当時から何度か手が入れられており、玄関、台所、和室、風呂場などが一新されています。
 この図面には書き込まれていませんが、一新された箇所には2階もつくられて部屋数が増えています。

e0052074_20342616.jpg

  ↓
 さらに僕が手を入れた箇所(赤い部分)です。ストーブを置き、煙突を取り付け、外に薪置き場を増設しています。さらに、冬季は広い部屋に断熱材の壁を立て、暖房効率を良くしています。板1枚だった天井にも断熱材を敷き詰めています。「勉強部屋」と「主婦部屋」は、日常生活では使い勝手が悪く、痛みも激しかったため、現在は倉庫として使っています。

 N氏の営農改善の足跡をたどることで、農地や林地や家屋は不変・不動のものではなく、その時の状況に応じて手が加えられていることを認識しました。そしてまた、新たな時代の自給生活へ向けて、僕も手を加えつつあるところです。
[PR]
by senang | 2007-03-30 20:34 | 【2】DIYな暮らし
N氏の営農と生活の改善 その3
 それでは、N氏がどのような作業を行ったのか、地図で見てみましょう。

e0052074_20135669.jpg

  ↓
 これは改善前の1950年当時の田畑と山林の様子です。谷沿いに田を拓き、小高い位置に家屋と畜舎を建てたことがわかります。家の前(実際には急斜面の下)に沼があったことをこの文献で初めて知りました。確かに、家の裏山から家の前にかけては水はけが悪く、水が溜まりやすいので、沼があっても不思議ではありません。

e0052074_20174395.jpg

  ↓
 これは改善後の1956年の図面。放牧場と栗園をつくったことが、面的に大きな変化をもたらしました。今でも山の中に張り巡らされた鉄条網が残っており、かつては放牧地だったことがわかります。
 水路を掘って田の排水を良くするといった乾田化作業にも、大きな労力が費やされたことでしょう。この工事が最も重要なものであったことは、文献を読んでよくわかりました。
 栗園から放牧場にかけての山は、1980年頃にヒノキが植林され、樹園地や放牧地として使われなくなっています。
[PR]
by senang | 2007-03-23 20:25 | 【2】DIYな暮らし
N氏の営農と生活の改善 その2
 N氏が1950~1956年に行った営農改善によって、粗所得が372,620円から483,670円に増えました。実に3割り増しです。1960年頃の大工日当が800円、コーヒー1杯が60円、公務員の初任給が14,000円程度だったことから、N氏の粗所得を今の金額に換算すると、約400万円から500万円にアップしたことになります。
 当然ながら、営農改善にかかる投資的経費もあったと考えられるため、ここから償却費を引くなどの処理をしなければなりません。家も改築しており、それにかかった経費も考慮に入れるべきでしょう。それでも、1軒の農家でこれだけ収入がアップしたことは、積極的に評価すべきことだと思います。

 当時の農家は、食べるものをほとんど自給していたという実態があります。購入していたのは動物性タンパク質、海産物、調味料などで、主に稲作と少量他品目の畑作で食料を賄っていたと考えられます。所得に対して支出を考えた時、現代の農家の生活と比べると、これは大きなアドバンテージとなっていたことでしょう。
[PR]
by senang | 2007-03-23 20:14 | 【2】DIYな暮らし
N氏の営農と生活の改善 その1
 わが家の歴史がわかる文献が出てきました。歴史といっても半世紀前の営農改善の経緯を記したもので、決して古いものではありません。むしろ最近の部類に入ります。
 文献自体に歴史的価値はあまりないと思いますが、自給という観点で見ると、当時の状況がよくわかり、生きていくためにどのような作業が必要だったのかがよくわかります。とても参考になりました。

 そこで、営農と生活の改善についてシリーズでお送りいたします。

 過去帳によると、そもそもこの地に長らく家があったわけではなく、明治時代に家を建てて田畑を開墾したとあります。その約50年後の1940年、文献の筆者(N氏)が18歳で家を継ぎました。当時は、「農業の経験も浅く慣行農法を惰性的に行つて」おり、「零細な耕地で如何にして生きて行くかということが大きな問題」であったとのことです。
 生産の基盤となる耕地。その多くは、沼や沢などの湿地を埋め立ててつくったために湿田です。沼地状態なので機械の導入はおろか、「牛の腹まで没する箇所もあり牛も入らない田があつて」、「雪どけを待つて膝上まで没する水田に入つて一鍬一鍬耕起して5月下旬の田植までこの作業を連日続ける」という、効率の悪い作業が続きました。このままでは、血のにじむような苦労を続けても経営は安定しません。そのため、田を乾田化することが最大の課題となりました。
 他にも営農に関する問題点はたくさんあったようです。1950年当時の問題点と対策の難易度は次のとおりです。

 1.水田の悪条件
  (1) 排水路の掘り下げ・・・易
  (2) 耕作道の拡張・・・可

 2.水稲低位生産
  (1) 適品種の導入・・・易
  (2) 施肥設計・・・易
  (3) 冷水対策・・・可

 3.畑地および斜傾地の放置
  (1) 果樹(柿、リンゴ)の植栽・・・可
  (2) 栗および飼料の栽培・・・易

 4.山林の放任
  (1) 計画造林の実施・・・難
  (2) 放牧地の新設・・・難
  (3) 飼料木の栽培・・・難

 5.家畜飼料を購入飼料に依存している
  (1) 水田裏作による自給度の向上・・・可
  (2) サイロの設置・・・可

 6.家畜が少ない
  (1) 和牛の増殖・・・可
  (2) 中小家畜の導入・・・可

 7.労働の酷使
  (1) 作業の合理性を研究・・・可
  (2) 動力耕耘機の導入・・・難
  (3) 家庭生活の合理化・・・可

 8.資金対策
  (1) 再生産資材の活用・・・可
  (2) 労賃(脱穀、籾摺)・・・可
  (3) 兼業(出稼、製炭)・・・難

 N氏は、これらの課題に対処するために次のような改善計画を立てました。

 1.土地基礎条件の整備
  (1) 暗渠排水
  (2) 用排水路
  (3) 農道

 2.水稲耕種法刷新
  (1) 水稲基礎知識の習得
  (2) 適品種の導入
  (3) 健苗の育成
  (4) 施肥設計
  (5) 堆肥の増施
  (6) 秋落対策
  (7) 病害虫防除
  (8) 冷水対策
  (9) 耕耘の動力機械化

 3.家畜の増殖
  (1) 出産
  (2) 鶏の導入
  (3) 飼料作物の栽培
  (4) 山羊の導入
  (5) サイロの設置
  (6) 畜舎の改造

 4.山林の計画管理
  (1) 計画造林
  (2) 林間牧野の設置
  (3) 下刈および管理
  (4) 牧野の草生改良

 5.過程生活の改善
  (1) 水源の確保
  (2) 家事労働の能率化
  (3) 台所改善(採光窓、改良カマド)
  (4) 食生活の改善
  (5) 勉強部屋および主婦部屋の新設
  (6) 改良便所
  (7) 風呂場の改善

 6.空地利用
  (1) 果樹の栽培
  (2) 花卉の栽培

 7.作業場の改善
  (1) 動力施設の改善(中間プーリー)
  (2) 機械鋸の設置

 この計画に沿って、N氏は1950~1956年の間に様々な作業を行います。多大な労力をつぎ込んだことがうかがえると同時に、自活力が非常に高い方だったことが想像できます。
 今僕が行っている自給生活の作業は、この足下にも及びません。そして、僕の暮らしはN氏の尽力の上に成り立っていることをしみじみと感じます。

 興味深いのは、営農改善だけではなく、生活環境の改善も同時に行っていることです。例えば、勉強部屋や主婦部屋をつくることを筆頭に、家事労働の効率化なども考えられています。今で言うリフォームですね。その背景には、生業(農業)と生活が渾然一体となっていた実態があります。
 文献でN氏は、「家族会議を開き、経営の実状を家族全員が知ることによつて家族の融和につとめました」と表現しています。仕事と生活を分断するのではなく、農家としての住まい方全般を対象として見直しをかけたのだと思います。

 改善以来、「作業計画の話し合いを行い、その結果を台所入口に設けた黒板の予定表に記入し実践に努めています」とのこと。
 今もわが家の台所に黒板が架かっています。1956年当時、34歳のN氏と30歳の奥様が黒板を見つめ、作業について相談し、家の前の田を耕したり牛の世話をしたりしていた情景が目に浮かぶようです。
[PR]
by senang | 2007-03-13 18:58 | 【2】DIYな暮らし
雉も鳴かずば
 昨日から今日にかけて、この冬一番の寒さを体験しました。2月には春のような陽気を体験しましたので、3月半ばになって冷え込むと、かなり調子が狂ってしまいます。とはいえ、気温が下がってもマイナス5度まででしたので、例年に比べると今年の冬はかなり暖かいことに変わりはありません。

 最近、キジの声で目が覚めます。明け方から早朝にかけて、家の周囲でしきりに鳴いています。「ケー、ケー」と少ししゃがれた声がすぐそばで聞こえたり、しばらくするとちょっと遠くからこだましてきたり。
 それで、窓を開けてそっと外を見てみるのですが、いつも姿は見えません。きっと、家の前の田んぼをはさんで向かい側にある木立にいるのでしょう。

 今朝はキジとともにウグイスも鳴いていました。目覚ましのバリエーションが増えて、段々と春を感じるようになりました。
[PR]
by senang | 2007-03-13 12:34 | 【2】環境との対話
design & entertain
 「自給にはマルチ性が求められる」という見解に達しつつ、生活まわりの様々な作業を手がけています。作業に充てる必要が思っていた以上に多いと感じています。例えば、薪を運んだり置く場所をつくったり、家の中に仕切りを立てたり、破損している壁に覆いをしたり、作業に使った資材を置く場所を確保したり。時間がない中、急ぐものはどうしても「とりあえず」と急場しのぎになってしまうこともしばしばで、最近は見てくれは後回しで最低限の機能さえ確保できれば良いという状態が続いています。
 同時に、先人は生活すること、つまり生存に必要な作業に生きている時間のほとんどを費やしていたのではないかと感じています。当然ながら、生きるために働いているのは、ひと昔前の人だけではなく、現代人の大半もそうだと思います。中には働くために生きている人もいるのかもしれません。しかし、その仕事は勤めという形によって段々と生存から遠い作業となっていき、極限的には「生活臭のしない人」がもてはやされたりもします。
 生活臭のない人、言い換えれば生存のスキルを持たずに生活する人は、何となく嘘くさいなぁと思ってしまいますが・・・。

 話を戻しましょう。

 個人的な問題として、時間的にも精神的にも余裕がないという状況に陥ることが最も良くないと感じています。その表れが、急場しのぎの「とりあえず」となって露見します。自給的生活を実現させようと試みてはいますが、思いのほか作業がたくさんあり、その作業に追われながら余裕をなくし、いつもムッツリした表情で生きるのは本意ではありません。
 なので、最近は楽しみながら生活するということが重要だと感じるようになりました。それを実現させるために、「生活をデザインする」ということを心がけたいと思います。デザインとは、家具や大工仕事に用いる個々の部材の芸術的表現などにとどまらず、暮らしぶりそのものをとらえ、楽しめるものをつくり、必要な作業を進めることを意味しています。そして、作業の中にデザイン性を盛り込むことは、「とりあえず」でバタバタとやっつけ仕事をするのではなく、心に余裕を持って仕事をすることになります。

 こう書いていて思ったのですが、これはもてなしの心にも通じるようです。自身が生きることに手一杯の状態では、来訪者を十分にもてなす作業にまで意識が向きませんし、そのための作業もできません。
 例えば、玄関まわりに作業資材を雑然と積んだままにしておくのではなく、片づけて人を迎える仕掛けをつくることは、心配りの表れでもあります。そんな空間演出も暮らしのデザインの1つです。

 言うなれば、生活は「design & entertain」。

 自給的生活においてもデザインともてなしができない状態にあるならば、好ましくない状態と言えるのかもしれません。そんな時は、あらゆる作業を進めないという割り切り方も必要です。経験上、無理に進めると良くないような気がします。
[PR]
by senang | 2007-03-05 09:45 | 【2】自給について