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家のそばに火葬場があります
 わが家の前後500mに人家がありません。最寄りの建物は、尾根を1つ越えたところにある火葬場で、裏山を歩いて抜けたところにあります。
 息子が、わが家のすぐそばに火葬場があることを知った時、とても怖がっていました。僕も幼少の頃であれば同じような印象を持ったでしょうし、火葬場が家のすぐそばにあることがずっと頭から離れない日々を送っていたのではないかと思います。

 息子が「え~、怖い!」と言った後、僕はこのように言ったことを思い出しました。
  ↓
 「人間は誰でもいずれ死ぬんだから、最後はあそこへ行くんだよ。」
 「火葬場は人が自然に帰るために煙と灰になるところだよ。」
 「だから、本当は怖いところじゃないんだよ。」

 息子は、「ふぅ~ん」と言ったきり、その後は特に突っ込んできませんでした。

 死は、今を生きている者にとって非現実の世界とも言えます。火葬場は、生と死の間を感じるものとして目に見える場所です。だから怖いという感覚を持つのかもしれません。
 自然や環境との「共生」という言葉があります。同時に、「共死」についても考えていくことが必要だなぁと思いました。
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by senang | 2007-02-23 11:26 | 【2】環境との対話
夜な夜な大工
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 夜、風呂を焚く合間に大工仕事をしています。これまでにドラム缶のカバーや給湯器の屋根などをつくり、この度、工具入れ(写真)が完成しました。
 1日に費やすことのできる時間は風呂を焚く間の約1時間なので、何日にもわたってコツコツと作業をすることになります。材料を切り出しただけという日もあれば、板のデザインや柱の角度を計算しただけで終了ということもありました。
 釜場と薪置き場は狭いために、ノコギリを使うにも十分な体勢が確保できません。照明は裸電球1つなので、鉛筆で引いた線が見えないこともあります。なので、切り口がまっすぐになっていません。全般的に決して丁寧な仕事とは言えませんが、自分で使うものであり、使い勝手が良ければOKということで許してしまっています。

 日曜大工をしていると妻に言ったところ、「あんたのは日曜大工じゃなくて夜な夜な大工だよ」と言われました。なるほどなと思いました。

 その「夜な夜な大工」、現在は子供用の積み木をつくっています。まとまった数ができたら、カフェにキッズスペースを設けて置く予定です。
 積み木は、木工所からもらってきた端材を切って角を丸く整えています。端材なので形は不揃いです。なので、不揃いなものを使ってどうやって目的の形をつくるかというオーダーメイド気質を高めてもらいたいと思います。
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by senang | 2007-02-16 10:10 | 【2】DIYな暮らし
風呂用の薪
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 風呂を焚く薪がなくなったので、知り合いの家へ取りに行きました。うかがった家は、薪の釜からガスの釜に交換したため、燃料がいらなくなったということです。
 うずたかく積まれた薪を半分くらい積んだところで、軽トラックが満杯になりました。これだけあれば1ヶ月半~2ヶ月くらいは大丈夫。本当に助かります。後日また取りに来ることを告げると、「整理できて助かる」とのことでした。

 ご覧のように、ほとんどが建築廃材です。帰って釜に入れようとしたら、薪がかなり長いことに気づきました。焚く前に、のこぎりで適当な長さに切る必要があります。これだけの薪を切るのは大変ですが、コツコツと切りながら燃やしていこうと思います。
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by senang | 2007-02-13 01:26 | 【2】エネルギー
「買えば済む」という生活はいつまで続くのか?
 昨夜、広島県と岡山県の県境にある山間部の地区で、地元の方と話をしていました。大雑把に言えば、これから田舎はどうなっていくのか、ワシらはどうすればいいのかという話題でした。その時に紹介されたエピソードにとても印象的なものがありました。
  ↓
 大阪行きの夜行バスに乗っていると、大阪在住とおぼしき乗客たちが交わす会話が耳に入ってきたそうです。彼らは、「米がなくなったら外国から買えば済む」「日本に農家はいらん」という趣旨の話をしていました。それを聞き、自分たちが一生懸命に農地を守り、農山村を守ってきた意味は何だったのだろうと残念な気持ちになったとのことです。

 この話を聞き、自給意識の低さを再認識しました。全部の日本人が同様に考えているわけではないと思いますが、このような意見はそれほど奇異なものではなく、一般的にかなりあり得る見解だと思います。
 この先、日本に災害は全くないとは言い切れません。地震や津波で港が使えなくなれば、外国の資源は届きません。中国の急成長の煽りで、これまでどおり海外から食糧が入ってこなくなることも考えられます。中東の情勢不安などによって、化石燃料もいつ輸入できなくなるかわかりません。そもそも化石燃料は、持続的な資源ではなく地球に与える影響も大きいため、早期にエネルギー転換が必要です。
 そんなことを想定した時、「海外から買えば済む」「農家はいらん」という発想は、ただでさえ存立基盤の脆い日本にとってかなり危険であるということは明白です。

 日本人は、一生のうちに1回くらいは、自分が食べるものを自分でつくる経験をすべきです。米や野菜の栽培でも良いですし、野山や海や川で食べられるものを採取して調理することでも構いません。そうすれば、自分がどうやって生きているのかを多少は実感できるのではないでしょうか。
 自給とは生きることの根底にある作業だと思います。最近の日本人は、生きることそのものから遠ざかった暮らし方をしていると思うことが多くなりました。生きることや生かされていることを蔑ろにする思考が蔓延し、痛ましい事件が頻発するのは、そんなところに根源があるのかもしれません。
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by senang | 2007-02-06 18:00 | 【2】自給について
ホワイトチョコレート
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 束の間の造形美でした。少し前の写真で、雪が降り始めた時に撮ったものです。枝に雪がくっついていて、遠くから見ると景色全体が生クリームで包まれていて、木々はホワイトチョコレートでできているようでした。木の下に行って見上げてみたら、遠くに月が浮かんでいました。
 綺麗だなと思って急いでカメラを取りに行き、何枚も写真を撮ったものの、後で見てみるとあまり綺麗ではありません。写真の腕前によるところが大きいのですが、やはり実物にはかなわないなと感じました。

 少し積もってはすぐに暖かくなり、この冬は依然としてまともな雪模様になっていません。枝についた雪も、次の日にはすっかりなくなっていました。
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by senang | 2007-02-05 16:01 | 【2】環境との対話