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「サンデー自給人」のつくり方
 自給のためには色々と準備が必要です。しかも、すぐにできるものではなく、時間と労力がかかります。1年から数年かかるようなこともあります。これまで、薪の準備を例にいくつかのエピソードを紹介させていただきました。
 僕には本業があり、月~金曜日の朝から夕方まで勤めています。最近は日没が早くなったため、夕方5時に帰っても暗くて外の作業ができません。それ以前に、夕方に帰ることができる日は少なく、夕暮れ時に出張し、夜中に帰宅することも多々あります。なので、どうしても週末や祭日に作業をするということになってしまいます。もっとも、その休日とて十分に取れているとは言えません。そんな生活や仕事のリズムと自給にまつわる作業の折り合いを、どのようにつけるのかが課題であるということを、「おい、薪小屋が先だぞ!」で書かせていただきました。

 自給のためには色々と準備が必要です。しかし、筋金入りの自給生活はすぐにできるわけではなく、僕のように勤めながら作業を進めるとなると、なかなかはかどりません。それでも、週末の時間を有効に使って自給ができないものかということを考えています。
 そんなスタイルに対して、「ナチュラル」の管理人mistyBさんが「サンデー自給人」または「週末自給人」と命名してくれました。とてもイメージをつかみやすく、わかりやすい表現に感服しております。

 それで次は、いかにして「サンデー自給人」を確立するかということを考えてみます。自分のここ1ヶ月の行動を振り返るに、一気にジャンプしすぎちゃったなぁと反省しているところです。前の家を引き払い、空き家に引っ越してきていきなり生活を始めたわけですが、この展開が急すぎた...。準備期間が全くといっていいほどなかったのです。
 本来は、生活や仕事の基盤を持ちつつ、週末ごとに新しい生活を始めるべく準備を整えるという方法がスマートで無理がないと思います。旧居を持ちつつ新居を確保することができれば、二重に生活をすることが有効でしょう。自分の家で自給環境を整えるのであれば、エネルギーや食料を買って生活しながら、少しずつ資源をストックしていけば無理がないでしょう。
 そうやって自給環境が整うまでには、最低でも数ヶ月かかるでしょうし、1年くらいの余裕をみておいた方がベターだと思います。週に1回ずつ作業を進めるとなると、1年で約50日もの時間が確保できます。「薪がない!」などといらぬ不安を感じることなく、楽しみながら自給ライフへ向けて着実に歩を進めていくことができるでしょう。

 僕のような無鉄砲な人間はあまりいないでしょうから、参考にならないかもしれません。それでも、これから自給を志す人がいらっしゃるのであれば、「サンデー自給人」として取りかかっていくことを強くお勧めいたします。そうすれば、無理なく楽しみながら、環境に合わせて生活を組み立てていくことができるでしょう。そして、それが静かなムーブメントになっていけばいいなと密かに思っています。
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by senang | 2006-11-29 14:21 | 【2】自給について
釜場の友達
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 風呂釜に住み着いている友達がいます。ザトウグモの大と小の2匹です。いつもどこかでカサコソと蠢いています。まさに「千と千尋の神隠し」に出てくる釜じいを彷彿とさせます。最初、妻と息子はとても気持ち悪がっていたのですが、最近は少しだけ慣れてきたようです。
 この2匹をじっくりと観察していると、生物の神秘さを改めて感じます。ご覧のように、足が異様に長く、しかも毛のように細いのが最大の特徴です。長い足によって本体が地面から高く浮いて宙づり状態です。蜘蛛が嫌いな人にとっては、この容姿は卒倒するくらい耐え難いようです。しかし、足を器用に動かして移動する様子は、「お見事!」の一言に尽きます。そして、足が長いだけあって、ゆっくり動いているように見えて意外と速いのです。
 前から2列目の足が特に長く、遠くへ伸ばして触覚の役目を果たしているようです。暗いところで視覚が頼りにならないところだからこそ足が発達し、感覚器官の役目を果たしているのですね。なぜ足が長いのかという謎が少し解けた気がしました。
 時々、彼らは虫の死骸を抱えています。長い足で抱えているのではなく、正確には口でくわえているようです。くわえたままで移動していたところに面白がってちょっかいを出したら、獲物を捨ててすたこらと逃げていきました。

 先日、息子が釜の番をしていた時、薪の上でくつろいでいたザトウグモをあやまって一緒に釜に放り込んだのではないかと言っておりました。不運な事故で1匹だけになってしまったと思っていたのですが、次の日、ちゃんと2匹いて安心しました。
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by senang | 2006-11-29 12:22 | 【2】環境との対話
実用重視
 格好から入るということは時に重要です。しかし、わが家の場合、実用重視で使えるものは使えという思考が優先されるようです。

 わが家は和風っぽい(?)民家であり、増改築が施されてつぎはぎ状態です。現在は障子や襖を取り払い、1階は約30畳の広い続き間になっています。30畳を暖めるため、天井と屋根に穴をあけて煙突を立て、ストーブを設置しました。
 薪ストーブを設置していただいた業者さんのホームページに、施工例の紹介写真が掲載されています。早速、我が家の写真も載せていただきました。その写真には家の中の様子が全て写っているわけではありませんが、他の施工例と比べて明確な違いがありました。率直に言って、他の家は洒落ているのです。ログハウス風のつくりにシンプルな炉台があり、その上に重厚なストーブが乗っています。または、伝統と現代風が良い具合にミックスされており、そこにストーブが風景の一部としておさまっています。いずれも(わが家以外)、モデルルームかスローライフ雑誌に出てくるような写真でした。

 ストーブまわりの小物(ファイアーツール)もたくさんあり、それなりに揃えていく必要があります。ストーブの中で薪を整える鉄の棒、薪を運ぶラック、肘まである防火の皮手袋、灰を棄てる金属製のバケツなど。これらをストーブメーカーのブランドもので揃えてストーブの周辺に配置すると、ムードが高まります。
 しかし、カタログや店でこれらを物色して感じたのは、いずれも値段が高いということでした。ただ高いというだけならまだしも、「これで代用できるんじゃないか?」というものがたくさんあるのです。
 それで、わが屋では、そこらへんにあるもので間に合わせました。炉台は庭石で自作。ストーブの中の薪を整えるのは火ばさみ。薪を運ぶのは荷物運搬用のキャリー。防火手袋は工業用グローブに妻が皮を縫いつけて自作。灰を棄てるバケツはリサイクルショップで眠っていた鍋。

 格好から入るということは時に重要です。しかし、わが家のストーブ周辺は、とことん格好良くありません。部屋が暖まれば良いのです。
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by senang | 2006-11-29 11:13 | 【2】DIYな暮らし
闇の中でうごめく者たち
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 我が家の周辺に人家はなく、外灯など人工の明かりもありません。家の照明を消すと、あたりは真っ暗になります。しかし実際には、“暗黒”という状況になったことがありません。どんな時でも、空はうっすらと色がついています。大抵が黒と濃い紺色の間のような色です。月夜は月明かりで向かいの山の稜線がくっきり見えますし、晴れていれば無数の星がまたたいています。曇っていても、遠くの明かりがうすらぼんやりと見えます。
 それでも、「あぁ、これが闇なんだなぁ」などと実感するので、しばし真っ暗な世界に身を置いて感知するものを楽しむのも一興です。闇の中でじーっとしていると、何者かの気配を感じることができます。最近は寒くなったためか、以前よりは気配が弱くなりましたが、先月の末頃までは何かをビンビンと感じることができました。
 代表的なのは、季節外れに弱々しく鳴く昆虫達(今はもう鳴きません)、家の真下の草むらをかき分けて何かが進む音(きっとタヌキだと思います)、裏山で鳴くフクロウ、などなど。闇の中はかなり賑やかであることに驚きながら、その相手が見えないという状況に対して、本能的に不安を感じたりもします。
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by senang | 2006-11-28 00:09 | 【2】環境との対話
おい、薪小屋が先だぞ!
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 この前の週末は、伐採しておいたヒノキを玉切りしました。ストーブにちょうど入る長さ(45cm)に木を切っていきます。妻も「やってみる!」と勢いが良かったので、チェーンソーを担いで2人で裏山へ行きました。

 作業の途中で、切った木をどうするのかということになって2人で考えました。薪にするための木は、割って乾燥させなければなりません。乾燥させるためには、雨に濡れてはいけません。日当たりと風通しの良いところに1年くらい置いておく必要があります。つまり、薪づくりより薪を保管する小屋が先だということになりました。
 それで、途中までつくりかけていた小屋を早く完成させなければならないということで意見が一致し、小屋づくりの作業にとりかかりました。今は応急処置として、積み上げた薪の上に板を乗せて雨をしのいでいます。これから大量の薪を積み上げるとなると、それだけでは不十分です。
 小屋といっても柱を立てて屋根をつけるくらいの簡単なものなのです。しかし、風が吹いて飛んでいってしまうものではいけません。おまけに、ここはかなり雪が積もるので、雪の重さに耐えられる構造にしなければなりません。結局はそれなりのものをしつらえる必要があります。
 この日、薪小屋づくりを再開したものの、1時間くらい作業をしていたら出かけなければならない時間になってしまいました。「明日は頑張ろう」と心に決めて、いずれの作業も中断することとしました。
 明けて次の日・・・。朝から雨が降ってしまいました。いつまで経っても止みません。とうとうその日はずっと雨が降り、さらに次の日も降ってしまいました。結局、この週末で薪小屋づくりの作業はできず、玉切りをした木は山で野ざらしになってしまいました。

<ここからが本題>
 本業のある僕は、休日でなければ暮らしに関する作業ができません。原則として土日祭日が休みですが、仕事柄、世間のみなさんが休日だからこそ出かけなければならない日も多くあります。しかも、今回のように数少ない休日に雨でも降ろうものなら、作業は最低でも1週間先延ばしになってしまいます。3日でできることが1ヶ月以上かかることも珍しくはないでしょう。
 現状では、冬支度が十分にできていません。それでも、しなければならない作業はまだまだあります。仕事や生活のリズムと自給にまつわる作業の折り合いを、どのようにつけていくのかが目下の課題です。
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by senang | 2006-11-27 23:42 | 【2】自給について
薪が足りない!
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 薪ストーブが本格的に稼働を始め、消費する薪が想定より多いことに驚いています。このままだと、冬を乗り切ることができないのは明白です。現在のストックのざっと3倍を確保しなければならないと考えていましたが、少なくとも5倍は必要だというように軌道修正をいたしました。1シーズンで6立方メートルくらいが必要なのかもしれません。

 風呂の釜場の横に薪小屋があり、そこに前の主が使っていた薪が残っています(写真)。中にはコナラの良質な薪もあり、現在は薪ストーブの燃料としてそれを使わせていただいているところです。しかし、この薪は風呂釜のサイズに合わせて整えてあり、細いためにストーブ用にはかなり貧弱なのです。さらに、これだけの量があっても1週間ともたないかもしれません。
 そうなると、他から薪を入手するしかないということで、現在は急ピッチで薪獲得大作戦を展開しています。おかげさまで何人かの方からお話をいただき、すぐに使えるものや立木のものなどを譲っていただける運びとなりました。それでも、必要量には至らないかもしれませんし、今年すぐに使えるとは限りません。
 「間伐 山の手入れと燃料生産」でも書いたように、木を伐って燃料として使えるようになるまで1年を要します。転居と薪ストーブの導入を決めたのは今年の秋にさしかかってからですので、当然ながら燃料の準備はできていません。準備不足以前に、準備すらしていなかったという状況です。
 これを機会に学ぶところも多かったので、来シーズンへ向けて、雪解けから秋までの間にコツコツと薪をストックしようと思います。
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by senang | 2006-11-24 14:10 | 【2】エネルギー
ナチュラル 本来のリズムを取り戻す時
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 茶、深紅、赤、オレンジ、黄色、黄緑色、緑色。1年で最も山がカラフルな季節になりました。

 ご存じのとおり、紅葉は気温差で色合いが決まります。気温がある一定の温度より低くならなければ紅葉しません。また、じっくりと気温が下がるのではなく、急激に寒くなると色合いが美しくなります。今年は、11月初旬に-3度まで冷え込んだ日があったため、色のメリハリやコントラストが美しいのではないかと考えています。
 新緑の頃は命が大地から溢れてくる様を感じられますし、若葉の例えようのない緑色に目を奪われます。そして、その葉が役目を終えて木々が冬支度を始める今の時期も、自然のダイナミックさを感じます。そんな春と秋は、命の動きを目や耳や匂いを通して感じることができるので大好きです。

 かつての日本人は、このような命の躍動を当たり前のように感じ、そのリズムの中で生きていたのだと思います。季節の移り変わりに合わせて、生活や生業を組み立ててきたのだと思います。
 日本人が、“季節感のない生活”=“自然から離れた(切り離された)生活”=“不自然な生活”を送るようになったのは、せいぜい50年くらい前からです。当然のことですが、それ以前の数百年あるいは数千年の間、我々は命の躍動を感じながら自然のリズムに合わせて生きてきました。森や川や海とともに過ごしてきた時間の方が長いわけです。
 私見ですが、現代社会の問題に触れる度に、“不自然な生活”を送っている人がいかに多いのかということを考えてしまいます。そして、本来のリズムを取り戻す時が来ているのではないかと感じています。

 不自然を自然(natural)に戻すことは意外と単純なのかもしれません。

 それから、その名のとおり、自然体で様々な情報に出会えるこちらのブログはとても参考になります。ナチュラル・ライフのお供としてお勧めです。
 ナチュラル

 写真の解説が最後になりましたが、これは我が家の前に広がる田んぼとその周辺にある紅葉を撮ったものです。美しい期間はほんのわずかしかありません。この後、あっという間に茶色と白のモノトーンの世界に変わります。そして、モノトーンの世界は1年の3分の1に及びます。
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by senang | 2006-11-22 00:41 | 【2】環境との対話
薪ストーブがやって来た
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 今日、薪ストーブに火が入りました。現在は半日かけて慣らし運転している段階です。それでも家の中は十分に暖かく、これまでの寒かった部屋が一変しました。ストーブから3mくらい離れたところの室温は15度なのですが、体感温度は20度くらいあります。
 夕食はおでんだったので、ストーブの上に鍋をかけて温めました。息子は、「あれ!ガスを使わずにストーブで温められるの!?」と驚いていました。鍋やフライパン料理はストーブで十分にこなせるため、ガスの消費を大幅に抑えることができそうです。

 「自らが生産したエネルギーで生活をする」ということは、自給の最大テーマとも言えます。これを身近に効率よく実現するための選択肢として、薪ストーブを導入しました。当然ですが、薪ストーブでは、暖房を稼働する動作や食事にまつわる作業がスイッチ1つで済むというわけにはいきません。火を熾してから部屋が暖まるまでの間、やや時間がかかります。決して便利とは言えませんが、化石燃料からの脱却がほんの少しだけ進んだことを実感しているところです。
 そして何より、表面的な暖かさではなく、かっちりした熱を受け取ることができ、揺れる炎にパワーを感じられるところが良いですね。

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by senang | 2006-11-21 23:40 | 【2】エネルギー
引っ越し協定
 今の家へ引っ越すにあたり、大勢の友人にお世話になりました。貴重な休日を使って駆けつけてくれた方ばかりです。朝から軽トラックや8人乗りワゴンで駆けつけてくれた家族もあります。同世代の家族が多いため、必然的に様々な年齢の子供もくっついてきます。気がつけば、大人が11人、子供が14人。大人達が大物の運搬作業に汗を流す中、子供達は小屋の屋根によじ登ったり、裏山を駆けめぐったり、林の遠くの方から絶叫したりしています。そして、山から帰ってきたら泥だらけです。

 気がつくと、仲間内で引っ越しがあると手伝いに行くという暗黙の了解のようなものができあがっていました。「○○家は○月○日に引っ越しだよ」という情報が回ってくると、さっと駆けつけます。男性は重量物の運搬、女性は掃除という役割分担も見事で、まさに「引っ越し協定」とでも呼べるようなものができています。これまでに我が家を含めて4件の引っ越しがありました。
 勿論、引っ越し当日のつきあいだけではなく、友人達とは引っ越し以外でも家族ぐるみのつきあいをさせていただいており、再々遊びに来てもくれます。子供が泊まりに来たり、家事や仕事で手が離せない時は、お互いに子供を預かったり預けたりという簡単な助け合いも日常的にやっています。
 我が家を含めた友人同士のつながりは、子供が同級生だったり、日頃から仲が良かったり、職場が一緒だったり、陶芸教室で一緒だったりなど、接点は様々。気がつけば、そこで気のあった者同士がまとまっていたという感じです。基本的には仲良しグループだったのですが、最近では生活面での助け合いがかなり機能的になってきたように感じます。

 客観的に見ると、この「引っ越し協定」は外来者(Iターン者)が多いように感じます。Iターン者が多いからこそ、頻繁に引っ越しというイベントが発生しているという見方もできます。かつての田舎では、地縁・血縁といった関係の中で、生活機能を補完しあっていたのかもしれません。それを先天的に持たないIターン者同士だからこそ、「引っ越し協定」や核家族ならではの日常的な助け合いが色濃くなっていくという一面もあるように感じます。
 また、都市部では様々な業態が発展し、商売として成り立つため、対価を払うことで諸々の作業ができるようになっています。ただし、引っ越し屋さんも不動産屋さんも存在しないこのあたりでは、仲間が頼みの綱という状況でもあります。

 このような生活密着型の世帯同士のまとまりも、ある種のコミュニティと言えるでしょう。大袈裟な表現をすれば、「生活していくために助け合いをする単位」という性格のコミュニティです。
 自分の生活が誰の助けによって成り立っているのかを考え、そして、これからを展望した時、地縁でも血縁でもない、フィーリングや価値観を共有するまとまりによって生活の補完を行っていく余地が十分にあると感じています。

 さて、「引っ越し協定」では、引っ越しにかかる費用として、手伝ってくれた人に食事をおごるということも暗黙の了解となっています。我が家の場合は25人分の食費ということになりました。新居に大きめのテーブルを2つ並べ、育ち盛りの子供達が繰り広げる嵐のような食卓は、すさまじいものがありました。
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by senang | 2006-11-20 18:29 | 【2】コミュニティ
間伐 山の手入れと燃料生産
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 我が家の裏山にはヒノキが植林されています。樹齢は25年前後で、少しだけ手入れがされています。家の前の田畑を挟んで向かい側にも山があり、こちらもヒノキ林です。諸々合わせて、山林の面積はざっと2.5ha。
 これらの山を利用させていただき、自給に備えていく予定です。大部分はストーブや風呂の薪として使っていきます。燃料としては火持ちの良い広葉樹がベターなのですが、山にはヒノキしかないため、しっかりと乾燥させて使うことにしました。ここしばらくは、チェーンソーを担いで山に入り、手入れと燃料生産を兼ねた間伐に精を出しています。

 木を伐っても、すぐ燃料にはなりません。伐倒した後、枝をつけたまま放置しておき、水分が抜けるのを待ちます。葉を残すことによって乾燥が早く進み、木も軽くなります。それから枝を切り、玉切り(木を短く伐って丸太状態にすること)の後、山の下まで担ぎ出します。そして、割って乾燥させます。乾燥の期間としてだいたい1年程度が必要です。つまり、今切っている木は、来年の今頃(来年の冬)用の燃料として日の目を見るという段取りです。最短でも2年越しの利用計画を立てなければなりません。
 さらに、伐った箇所をどうするかということも考えながら伐採する必要があります。元々そこに有用木が生えていたのであれば、放置して天然更新によって木々の芽が出ることに頼ることも可能です。一方で、我が家の山のようにヒノキ林であれば、ドングリなどを播いたり植林したりする必要があります。そして、それらが資源として利用可能となるまでには、数十年の月日を要します。

 しばらく暮らしてみれば、生活にどれだけの資源と手間が必要なのかについて、大体の感じはつかめるのかもしれません。しかし、引っ越してきて1ヶ月も経たないうちに、このテーマを明らかにするには長期戦の構えが必要であると考え直しました。
 今何とか生活できているのは、DIYムード満載の家や25年前に植えられた木など、過去の営みやストックがあるからこそ可能であるということを痛感しています。
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by senang | 2006-11-16 12:08 | 【2】エネルギー