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直接燃料と蓄電池
 エネルギーファームから採取できるエネルギー源として、エタノールを中心とした燃料があります。これらは、それ自体が燃焼して駆動力を生むものであるため、「直接燃料」と呼ぶことができます。
 一方で、エネルギーの形としては、発電を行ってそれを蓄積させて駆動力とする「電池式」もあり得ます。発電・蓄電の方法は様々であり、木質系ボイラーによるもの、水力、風力、太陽光などが挙げられます。エネルギーを電気に変換すれば、蓄積が可能であることに加え、電線を通じて容易に遠方まで輸送できるというメリットがあります。
 もっとも、何がベストかということは単純に判断できません。用途、必要な熱量や瞬発力、輸送の容易さ、連続使用が可能な時間などによって、何が最適なのかが異なるためです。

 いずれのエネルギーも、生産コストに照らし合わせて実用可能かどうかが判断されることになるでしょう。当面重要なのは、設備投資、原料の確保、精製や発電・蓄電にかかる費用などを差し引きしても、損益が出ないということになります。

 直接燃料の場合、その精製に専門的で高価な設備を必要とするものも出てくるでしょう。一方、電気だと汎用性が高く、輸送も比較的容易であるため、長い目で見て効率の良いエネルギーと言えるのかもしれません。将来は、発電施設の整備と、蓄電池の改良・普及が進むことも考えられます。
 これまで、「米→アルコール→自動車の燃料」のような直接燃料系のエネルギーの確保と利用を主流に考えてきたところですが、「木材→ボイラー→発電→蓄電→電線や電池で輸送→充電式自動車」という電気系の路線も検討の余地がありそうです。
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by senang | 2006-09-30 02:53 | 【1】限りある資源
東京産は?
 先日、東京へ行きました。羽田に着いてモノレールや地下鉄を乗り継ぎ、永田町の会議会場へ行き、夜も更けてから大手町の居酒屋で食事。そして、半蔵門にあるホテルで宿泊。この間、地上に出ることはありませんでした。いやはやモグラのような生活だなぁと実感すると同時に、外に出なくても仕事や生活ができるように移動手段や施設などが整備されていることに驚きました。

 夕食のために立ち寄った居酒屋は、おやじの巣でした。ウナギの寝床のように長い店を奥へと進み、案内されたテーブルにつき、何を食べようかと物色します。お品書きの横には、食材がとれた県の名前が載っていました。酒、魚、肉、野菜、茶豆など、全国からあらゆるものが集まってきているようです。各地の良い食材を揃えていますよということが、この店のセールスポイントだったのかもしれません。

 たくさんの県名が並ぶ中、見あたらなかったのが東京都。東京産の食材がないのです。

 少し前に、拙ブログで首都圏では過疎地域に対して理解を示さないという趣旨の記事を書いたところです。首都圏の人は、自分が日々食べているものがどこから来ているのかということを理解しているのでしょうか?例えば東京の人は、自分のところだけで暮らせと言われたら、生きていけるのでしょうか?居酒屋で目白押し状態になっているおやじさん達は、このようなことを考えながら飲んでいるのでしょうか?
 都会と田舎の連携や交流が必要だという声は多く、その意図は、田舎は生活条件が厳しいから都会に助けてもらいたいという論調で語られることも多くあります。都会で吸い上げた税金を田舎に投入するということに反発する人もいます。しかし、本当に助けられているのは、田舎ではなく都会の方であると言えるのではないでしょうか。
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by senang | 2006-09-29 10:48 | 【1】持続的な生き方
新しいモノサシ 「地球を壊すか・壊さないか」
 先日、養老孟司氏が、「石油がタダ同然にある現在は狂気の沙汰である。70kgの人間を2tもある車で運ぶなんてことは、まともではない。」とおっしゃいました。石油文明とも言うべき現代のおかしさを見事に表した一例であります。もっともだと思いました。
 なぜ、エネルギーの適正な利用という観点からすると、かなりおかしなことが行われているのか?なぜ、2tで70kgを運ぶことが可能になっているのか?それは、「経済という枠組みの中で可能だから」、わかりやすく言えば「安いから」できていることではないかと思います。

 地球は常に変わり続けています。人間を基準にすれば、そのペースはゆっくりなのかもしれません。しかし現代は、そのゆっくりペースを何倍にも早めて物事を進めることが当たり前に行われています。その概念を支えているのが経済という妄想であり、駆動力となっているのが化石燃料ではないでしょうか。

 養老氏は、こうも言いました。「もっと自然な生き方が必要ではないか。」個人的には、自然な生き方というものは地球のペースに合わせることではないかと思っています。それは、1年間に数cm動くという大陸プレートに歩調に合わせろというものではありません。言い換えれば、地球を壊さないことであると表現できます。
 経済性を絶対視し、高いか安いかという判断基準は、そろそろ破綻してきつつあります。というより、早く破綻させるべきです。これに替わり、これからの100年は、地球を壊すか・壊さないかというモノサシを持って世の中を見ることを提案します。家でも、仕事でも、社会でも、国際関係でも。

 これ、経済的なモノサシより簡単でわかりやすいと思うのですが、いかがでしょう?
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by senang | 2006-09-14 18:55 | 【1】持続的な生き方
山道の草刈りで思ったこと 2 農山村用機械の燃料
 草刈りでは草刈り機を使います。ご存じのことと思いますが、これは混合燃料で稼働します。1日中草刈りをすると、1リットルちょっとの燃料を使います。
 草刈り機の他にも、チェーンソー、耕耘機、トラクター、コンバイン・・・。農山村で使われる機械は数多くあります。現在、バイオエネルギーの生産と利用を重点的に考えているところですが、まずはその生産現場である農山村において、機械のバイオ燃料化を積極的に進めるべきだと思います。
 馬力の大きな大型(乗用)機械は、大きな技術開発が必要かもしれません。それでも、せめて小型エンジンの類はエタノール100%で動かすなどの進展があってもよいと思います。
 燃料生産(供給)と使用技術(需要)をセットで進めなければ、この実現は難しいでしょう。しかし、本気で進めれば、かなり短期間で実用化できると考えているところです。

 農家(エネルギー作物生産者)&杜氏(エタノール精製者)&メカニック(エタノール利用機械の開発者)でチームを立ち上げてみるのも良いかもしれませんね。
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by senang | 2006-09-05 17:42 | 【1】限りある資源
山道の草刈りで思ったこと 1 生物多様性
 今月は登山道の草刈り月間。年に2回、6月と9月に伸びた草を刈ります。高原は涼しく、暑い盛りを過ぎたとはいえ、草刈り機を背負って山道を登り、草を刈る作業は、とても良い運動になります。
 頂上付近の尾根づたいの道を進んでいた時、クマの糞を発見しました。道の真ん中に大きな塊になっています。少し離れたところにも別の塊がありました。

 それで、この道は様々な生き物が利用しているのではないかと考えたところです。

 まず、糞があったことから、山道がクマの通り道になっていることは明白です。実は、道のど真ん中に糞があるのを他にも何度か発見したことがあるので、クマは山道(特に尾根沿い)を意図的に選択して使っているのではないかと想像しています。
 昼になり、道に座り込んで昼食をとりました。ランダムに腰を下ろした周囲を注意深く見ると、様々な昆虫がいます。大きなものから小さなものまでアリが4種類、形は蚊だけれど大きさが数倍ある巨大な飛行型の虫、アブの仲間が3種類、などなど。昆虫はあまり詳しくないので、描写が大雑把ですみません。また、これら以外にも多くの生物がいたことと思います。

 道から藪の中をのぞき込みました。そして、道と藪の比較をしました。人が入らないところは、意外と単調な環境なのではないかと感じたところです。つまり、藪の中より山道の方が多様性がある、言い換えれば、変化に富んでいるという仮説が成り立ちます。もっと厳密に言えば、藪と山道との境目のあたりに、多くの動植物が棲んでいるのかもしれません。

 人間が切り開き、刈り払うことによって残されてきた環境が存在します。年2回の草刈りもその1つです。そして、そこを格好の住処としている生物もいます。
 人間の行為が全て地球にとって悪いというものではありません。「人間VS地球」というものでもありません。人間の行為は循環系の1つであり、それを持続的に維持しうる存在として位置づけることもできるでしょう。

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この花も山道の真ん中に咲いていました(2006年5月)。
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by senang | 2006-09-05 17:32 | 【1】地球のリズム