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神様は何人いるのか?
 昨日、息子に「神様は何人いる?」という質問をしてみました。我ながら、ちょっと意地悪かなぁと思いながら答えを期待していたところ、「100人!もっともっといるよ!」と即答されてしまいました。つまり、「神様はたくさんいる」ということです。
 息子がイメージしている神様とは、いわゆる宗教(主に仏教)に出てくる神様もあれば、石や川や木などに宿っている精霊のようなものもあるようです。まさに八百万の神というわけです。僕が意識してそう教えたことはないので、母親の影響なのか、はたまた自分で勉強したのかもしれません。いえ、自分で勉強するとはとても思えませんが・・・。

 色々と話を聞いたところ、たくさん神様がいる。悪いことをしたら神様にこらしめられる。それが息子の神様との関わり方のようです。あちらこちらに神様がいるわけですから、その戒めは自分のことや身の回りのこと全てに及んでいます。小さな子供がそこまで理解していないでしょうが、感覚としてはとらえているようです。少し前に出雲大社で神主さんにお祈りをしている時、普段は少しもじっとしていない息子が誰よりも神妙な面持ちで頭を垂れていましたので。

 何だか親バカな記事になってしまいましたが、生き方のリズムを素直に感じて表現している息子は、観察対象としても面白いですし、親としても学ぶところが多いです。
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by senang | 2006-03-29 18:33 | 【0】センシブルワールド
もやし隊プロトタイプ
 3月25日、実験的な「もやし隊」を行いました。「もやし隊」は、これから本格的な1歩を踏み出そうとしています。今回は、そのための方向性をつかむべく実施しました。
 「焼いて食べよう!」をテーマに告知したところ、5組の親子連れと若夫婦が集まりました。機材や材料はそれぞれが持ち寄り、朝から夕方までみんなが自由に(勝手に?)過ごしました。写真にてその時の様子を紹介いたします。

ご飯を炊くためのはんごうをつくっています。
「おぃ、竹がいるぞ」ということで、現地調達してきた竹を加工します。
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竹筒に米と水を入れて火にかけます。
水加減と火加減が難しく、全てが上手く炊けたわけではありません。
水が少なくてパサパサになったり、竹筒が燃えてしまったり・・・。
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焚き火でパンを焼きました。
そのへんで取ってきた木の棒にパン生地を巻き付けてあぶるだけ。
子供に大人気です。
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シカ肉と卵の薫製。
サクラチップの香ばしさがたまりません。
途中で薫製器が焼けてしまい、桐の香りもブレンドされてしまいました。
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イノシシを焼きました。
火が強すぎて、表面が焦げているのに中は生という状態...。
肉は炭火が良いのかもしれません。
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ずーっと準備してやっと食事。
食べるということは大変なことだ・・・と実感しました。
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本日のメインディッシュ、イノシシの丸焼きができあがりました。
強烈ですみません。
この後、子供達は「私、顔食べるー!」と肉をほおばっていました。
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 「もやし隊」は、4月から本格稼働したいと考えています。ゴールデンウィーク頃に山のものを取ってきて食べようという企画で、山菜をメインにした活動を展開したいと考えています。楽しみながら山に触れ、自然の恵みと厳しさを肌で感じることができればよいと思います。
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by senang | 2006-03-27 12:00 | 【0】センシブルワールド
ジミヘン
 ジミヘン・・・。勿論、これは海外で通じません。何でも略したがる日本人独特の表現とも言うべきものでしょう。しっかし、ジミヘンという響きはヘンだ...。ま、キムタクもショーケンも似たようなヘンな感じがありますね。
 いえいえ、言いたかったのはそんなことではなく、最近はジミヘンこと Jimi Hendrix の Third Stone From The Sun がちょっとしたトリップミュージックになっています。ずっと以前にも、この曲を聴いている途中でブッ飛んでしまい、その後の数時間は夢心地ということがありました。しかし最近は、頭の中で曲を流すだけでトリップモードになってしまうのです。

 そんな曲、みなさんにもありませんか?
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by senang | 2006-03-23 20:03 | 【0】センシブルワールド
犬の世界
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 戌年です。「いぬ」といえば、狛犬、番犬、猟犬、愛玩犬、狂犬、町田町蔵など、人間に密着した生き物であることを連想します。

 僕は幼少の頃、犬が大嫌いでした。当時は、犬といえば放し飼いが多く、町の中で犬にでくわすこともかなりありました。そして、目が合うとどの犬も決まって追いかけてくるのです。僕はくるりとターンして全力疾走しますが、子供より犬の方が足は速く、すぐに追いつかれます。それでも走りまくります。路地を曲がり、また曲がり、犬がいなくなるまでとことん走りました。
 その時、感じました。言葉や顔に出さなくても、犬は相手が何を考えているのかわかるのではないか・・・と。追いかけられた経験から僕がビビッてしまうと、犬も調子に乗ってまた追いかけてくる。犬の間では「あいつ追いかけたら面白いぞ」という噂にもなっていたのかもしれません。
 僕の犬嫌いがなおったのは、小学校5年生の時に子犬を飼い始めたためです。生まれて間もない頃から育てていたら、犬嫌いがなおってしまいました。それどころか、近所の野良犬とも大の仲良しになってしまいました。
 仲良しになったのは良いのですが、僕を慕って家に犬たちがゾロゾロと集まるようになりました。餌付けしたわけではないのに、なぜか集まってくるのです。挙げ句の果てには、和洋様々な数十匹の犬が玄関先にたむろすることになってしまいました。その光景を見た近所の人は、さぞかし怖かったことでしょう。

 自分さえ変われば、生き物と通じ合うことができます。しかし、生き物の世界を人間の世界に引き込んでしまってはいけないと思います。僕の場合、幼なかったこと、無意識のうちに犬の世界に入っていたこととはいえ、結果的に犬も人間も困ることになってしまいました。
 僕が自然や生き物と一線を引き、関わり方について考えるようになったのは、そんなことがきっかけになっているのかもしれません。
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by senang | 2006-03-20 20:16 | 【0】センシブルワールド
眠男 第19話
 自分の中で確実に大きな変化が起こっている。長くて重い眠男の呪縛を解いて以来、小三郎はそう感じ続けていた。
 久利砂神社へ行った後も、小三郎とアレックスは栗下市に留まっていた。34年前の栗下市事件について調べるためだ。しかし、迷宮入りしてしまった事件の解明は容易ではない。これまでにもアレックスが思いつく限りの調査を行っていたが、ほとんど進展はなかった。
 3日後、小三郎とアレックスは再び久利砂神社にやって来た。

続きはこちら
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by senang | 2006-03-20 19:50 | 物語
縄文気質
 島根県は出雲部(東部)と石見部(西部)で気質が大きく違います。出雲部はネチネチしていますが、石見部はカラリとした性格の人が多いです。物事の考え方が違えば、暮らし、産業、農業のやり方なども違ってきます。出雲部には最近流行の産直市が多く出現しましたが、石見部では定着しません。平地がそこそこあって稲作が発達している出雲部に比べ、石見部の主業は山林労務(薪炭生産)でした。さらに、出雲部では焼畑農耕の歴史はほとんどないのに対して、石見部では昭和期まで実施していたという証言を得られたりします。ちなみに、焼畑卓越地帯としては、他に高知県を中心とする四国、宮崎県などの九州東部も挙げられます。
 ここまでくると、様々な差異は気質の差だけで片づくものではないような気がしています。これはもう、文化の違いと言うべきでしょう。では、その異なる文化の間には何があるのか...?

 個人的には、縄文由来の文化と弥生由来の文化の差ではないかと考えています。島根県を例に取って大雑把に見ると、焼畑卓越地帯であった石見部は縄文文化であり、稲作が発達している出雲部は弥生文化なのかもしれません。
 稲作が普及してから数千年~数百年が経ちます。それでも一部の人々は、田を拓くには条件の悪い立地条件、すなわち山間部に住み続けています。なぜなのか?それは、山間部の生活様式(=焼畑文化)の中で暮らしてきた人々(種族?)だったからではないかと想像しています。この発想を広げていくと、焼畑卓越地帯で縄文の名残を見つけることができるかもしれません。

 縄文文化は、時代の流れとともに、その時々に応じた変化を遂げながら現在に至っているのかもしれません。弥生人との混血も進んだことでしょう。今となっては、人々は同じ顔をし、同じものを食べ、同じ教育を受けています。そうであっても、気質や風習として縄文の血を受け継いでいることがあるのかもしれません。気質や風習というものは、良くも悪くも根深いですからね...。
 そう考えると、石見人と土佐人の気質には、どことなく似ているところがあるような気がします。思わず、「あぁ、あれが縄文気質なのか!」(勿論、現代版の縄文気質として)と納得してしまいました。
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by senang | 2006-03-19 16:50 | 【0】センシブルワールド
雨の匂いと雪の匂い
 1日中、雨風が強い日でした。夜になってあられが降ってきました。
 そこで気がついたのですが、雨の匂いと雪の匂いは違うんですね。個人的なイメージですが、雨の匂いには地面の匂いが混じっていて、雪は空の匂いが混じっているように感じます。

 春はすぐそこです。
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by senang | 2006-03-17 00:24 | 【0】センシブルワールド
蘇開
 東京へ行ってきました。夜8時の電車では前後左右に人が密着しています。隣の人の鼻息がかかります。ヘッドバンギングしようものなら前の人の後頭部に頭突きをお見舞いできます。駅で電車のドアが開いた途端、ざざざーっと人の波に流されていきます。現在地を確認する間もなく、流れるままたどり着いたのは目的地のはるか彼方。夜ご飯は、冷たいエビ天が乗った立ち食いそば。見ず知らずの人と肩を寄せ合って、立ったままご飯を食べるなんて経験は初めてでした。そして、隣のオヤジが落とした爪楊枝が僕の足を伝って落ちていったので、そばを口にほおばったまま「う゛っ」と言ってしまいました。そんな自分の声に、何やらもの悲しくなりました。
 ・・・と、田舎では絶対に経験できない貴重な体験をしてみたところです。この数え切れないほどの人達は毎日こんな生活を送っているのかぁと思うと、恐ろしくさえなります。何か大きなものに飼われている家畜じゃないか・・・とも思いました。

 その「大きなもの」とは、20世紀的価値観だと思います。分業化を追求し、利便性を追求し、金銭的・物質的豊かさを求める価値観。その挙げ句が、毎朝毎晩満員電車で運ばれる人生なわけです。そんな現実を「おかしい」と思うのか、「しょうがない」と思うのか、「当たり前だ」と思うのかは、人それぞれでしょう。そして、「おかしい」と思って行動に移そうと思ったなら、「現代版疎開」を考えてみるのも一興かもしれません。

 ただしその時には、価値観の転換が必須になります。単に場所を都会から田舎に移すだけではなく、精神的進化とも言うべき内面の変化が必須条件になるでしょう。つまり、今の価値観から脱却し、新しい発想や行動の礎となる価値観です。「疎開」ではなく「蘇開」とでも表現すべき着眼点が必要だと思います。
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by senang | 2006-03-15 13:46 | 【0】センシブルワールド
センシブルクイズ 12
鼻の長い生き物を3つ答えよ。

息子(8歳)の回答
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by senang | 2006-03-11 02:28 | 【0】センシブルワールド
「生命地域」と「生命産業」
 里山復興をシンボリックにし、また、具体的な活動としてわかりやすくまとめる作業をしました。関係者向けの説明資料ですが、ちょこっと紹介いたします。ご意見などいただけると助かります。

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1.「生命地域」の考え方

「生命地域」の中の里山
 中国山地の中央に位置する山々、神戸川・斐伊川の源流、江の川へ注ぐ清流。わたしたちのまちは、まさに「生命地域」。そして、「生命地域」の中の人々の暮らし、景観、その周辺の自然環境は里山と呼ばれています。

里山でつくられる水と食べ物
 ブナ林をはじめとする広葉樹林を残すことによって、きれいで豊富な水がつくられます。さらに、環境に配慮した農業を営むことにより、安全で美味しい食べ物がつくられます。

里山を守る地域社会の維持
 「生命地域」に暮らすわたしたちには、里山を守り育て、後世に伝えていく使命があります。それは、地域の人々のたゆみない活動に支えられています。1人ひとりの力は小さいかもしれませんが、みんなの力をまとめて地域全体の「うねり」を発揮していくことが求められます。

 以上の考え方に基づき、豊かな自然を活かすこと、住民が安心して暮らせること、住民1人ひとりの参画によって地域を動かしていくことをわたしたちの新しいまちづくりの方向性とします。

(以上、「新町建設計画」より抜粋)

2.「生命地域」の中で生命産業を組み立てる

 「生命地域」の大原則は、自然の循環。太陽エネルギーと天からの水や雪を取り入れて植物が育ちます。植物からきれいな水や空気が生まれ、安全・安心・美味しい食べ物が収穫できます。人々の営みの後に出る廃棄物は環境にストレスのない形で返します。
 「生命産業」とは、そんな自然の循環の中で人の営みを構築することです。さらに、町の資源を活かして、生活に必要なものの自給率を高めることを目指します。

農林畜産業
 農林畜産業は生態系をつくる産業であるべきです。生態系の中で持続的な資源の生産を可能にしてこそ、産業が成り立ちます。これを大原則としなければ、自然の循環の中で生きていくことはできません。特に、生活の基礎をつくる農林畜産業は、自然の循環を強化させていくものとして位置づける必要があります。
 食糧の約60%を海外に頼っているという現代日本の危うさを考えた時、資源的に豊かな飯南町から社会のあり方に一石を投じ、メッセージを発信することが重要です。

  →小規模農業(単一作物の大産地化へのアンチテーゼ)
  →地産地消(半径10kmのものを食べようプロジェクト)
  →農・畜・林が一体となった循環型農法(稲作、稲藁飼料、放牧、草刈りの一体化)
  →機能性食品の開発(発芽米、ソバ芽、桑茶など)
  →里山生活の知恵が詰まった商品の開発(薬用植物、炭製品、ササエキス)
  →生産と収入による主観的健康感の醸成(高齢者の生きがいづくり)

癒しの空間づくり
 人類は、この世に発生してからつい最近まで自然とともに生きてきました。都市を形成し、土や木から隔離されて暮らし始めたのはわずか100年前からです。従って、人間は都市にいるだけでストレスを感じてしまいます。
 里山では、現代人が本来の場所に帰り、「失調してしまったリズム」を整えることができます。それは、「自然のリズムを吹き込まれた命」を取り戻すことでもあります。

  →予防医学の導入(免疫機能の活性化、主観的健康感の醸成)
  →楽しく実践できる自然のリズムに沿った食と暮らしの提案
  →森林セラピー(来訪者向け滞在タイプ、在住者向け居住タイプ)
  →園芸療法

エネルギーの自給
 日本はエネルギーの96%を海外に頼っており、エネルギー危機は食糧危機以上であると言えます。従って、天変地異や国際情勢の悪化で輸入が止まっても生きていくことのできる社会をつくることが急務です。
 化石燃料に代わるものとして、バイオエネルギーが見直されています。化石燃料は掘り尽くせばいずれなくなってしまいますが、バイオエネルギーは太陽がある限り無限に得ることができます。まさに生命地域にふさわしいエネルギーです。
 かつての里山は、炭や薪などのエネルギー生産基地でした。石油が使われるようになって里山は放置されてしまいましたが、今、再びその価値を見直す時期がやってきました。農林地は食糧とエネルギーをつくる場として再生していく道が拓けています。

  →木質バイオマスの実用化(町内の電力をまかなうシステムづくり)
  →エネルギー作物の栽培・活用(ナタネ、トウモロコシなど)
  →バイオエネルギーの普及啓発

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by senang | 2006-03-08 12:33 | 【0】センシブルワールド