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危機を乗り切った江戸時代
 人類が生き残り、地球が持続的な状態であり続けるためには、20世紀的な成長をやめて安定化を指向する必要があります。成長と安定を象徴しているものが人口であり、人口の増加、増加抑止、安定について記述された文献も多く存在します。

 日本の江戸時代は人口がほぼ横ばいであったこと、今になって当時の社会を見直そうという動きがあることなどから、安定した社会と見ることができるでしょう。またある本では、崩壊せずに生き残りに成功した社会としての評価もなされているところです。
 江戸時代の安定がどのようにもたらされたのかについては、検証と議論の余地があると思います。個人的に興味深い点は、それが痛みや不満を抱え込んだ権力者による抑圧だったのか、自制的・自主的な制約によるものだったのか、という点です。

 これから安定化社会を目指す場合、できれば自制的・自主的な制約による方法であってほしいと願っています。しかし、そのためには多くの人の間で高い意識レベルの共有が必要であり、そのハードルは高いと考えざるを得ません。
 江戸時代の安定が抑圧のみによるものではなく、日本人の精神性による自制が少しでも見られるのなら、そこにわずかな望みを探してみたいと思います。

<参考> 江戸時代は抑圧社会だったのか!?
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by senang | 2006-01-31 20:34 | 【0】センシブルワールド
上空より
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 我が家の上空から撮った写真。右端に見えるのは町一番の繁華街です。田んぼや山の状況から、撮影時期は晩秋だと思います。
 これを見ていると、あたかも自分が上空に浮かんでいるような感覚がして、裏返ってそのまま落下するような錯覚に包まれます。

 自分の行いを違った角度から眺めてみるのは面白いものです。
 いつも決まった道を通り、家に帰って寝て、朝が来て再び出かけて行くという生活を繰り返しています。反復運動です。仮に、一生懸命にやってきたつもりでいても、もしかしたら一生懸命さが足りないのか、一生懸命のベクトルが違っているのかもしれません。そんな気になりました。

 自分の行いを違った角度から眺めてみるのは面白いものです。
 こうやって上空から見てみると、これまでの様々なことがいかに平面的だったかということを痛感します。今やろうとしていることは確かなんだろうか?考えていることはこれで良いのだろうか?もっと立体的な見方だってあり得るのではないか?そんな気になりました。

 自分の行いを違った角度から眺めてみるのは面白いものです。
 意識したのか無意識だったのかに関わらず、他者や社会に対して行った行為、偏見、無学、誤解は自己に跳ね返ってきます。そしてそれは、正面から受け止めて自分で消化するしかありません。自分自身の問題です。勉強しなければならないことが多い。そんな気になりました。

 自分の行いを違った角度から眺めてみるのは面白いものです。
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by senang | 2006-01-30 19:52 | 【0】センシブルワールド
生物はなぜ陸に上がったのか?
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 水が豊富にあり、そのほとりから木々が広がっている風景を見ると安心します。水と森は生物相の多様性と量的な豊かさを維持しています。このような風景に安心感を覚えるのは、古くから森の中で暮らしてきた本能が現代の人間にも息づいているからなのかもしれません。

 地球上の水の総量に対して、人間も含めて陸上の生き物が使うことのできる水はごくわずかです。そしてまた、水も環境容量を司る要素の1つです。つまり、地上の生き物の命綱はかなり細いということになります。
 ではなぜ、生物は海から陸へ上がったのでしょうか?そして、なぜ淡水に依存して生きるようになったのでしょうか?水のことだけを考えても、海の中の方が生きやすいと思います。また、海の中であれば縦横の空間を自在に使うことができます。海底にくっついていなくても、海水面に沿って生物相が分布できれば、地上より生存可能面積は広く、太陽エネルギーも得やすいでしょう。

 そんな進化の選択肢があってもよかったのではないかと思います。

<参考> 0.7%の命綱
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by senang | 2006-01-27 20:07 | 【0】センシブルワールド
新・進化論 3.5(おまけ) UFOに乗っているのは誰?
 下の話の続きです。

 息子は「UFO=宇宙人の乗り物」と考えていたようです。しかし、万が一UFOがあったとしても、それが宇宙人の乗り物とは限らないワケです。証明されているわけじゃないですから。そう言うと、「じゃあ、誰が乗ってるの?」ということになりました。

 僕は小さい頃、よくUFOを見かけました。勿論、何かの見間違いであったという可能性は大きいです。間違いだということも含めて、あれらは何だったんだろう?

 そんな父と子の疑問に対して妻が出した結論は、「あー、UFOには未来人が乗ってるんだよ。」ということでした・・・。
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by senang | 2006-01-27 01:28 | 【0】センシブルワールド
新・進化論 3 宇宙人は風?
 ある日の親子の会話です。
  「父ちゃん、UFOってあるの?宇宙人っているの?」
  「おまえはどう思う?」
  「見たことないからわからん。」
  「じゃ、もし見てしまったら?」
  「そしたら、いるってことになるのかな。」

 この話の流れでいくと、息子がイメージしている宇宙人とは見える存在であり、UFOに乗って移動する存在であるという前提になります。

 進化論の考え方に「適応放散」というものがあります。同じ空を飛ぶ生き物でも、鳥は翼に羽を生やしていますが、コウモリは骨の間に膜を張っています。つまり、同じ性質(この場合は飛ぶという性質)を持つ種であっても、由来が違えば形もしくみも違うということです。

 この際、人間が「知的」か「恥的」かはともかくとして・・・

 他の星や空間に人間と同じような知性を持つ生物がいたとしても、そこは地球とまったく同じ環境であるとは限りません。いえ、まったく同じということはあり得ないでしょう。とすると、それは人間と同じ形や似た形ではない可能性も高いわけです。だいいち、地球上に存在する空を飛ぶ生物の間にさえ羽と膜という大きな違いがあるのに、星や空間が違えば形状的差異は甚だしいと考えた方が妥当です。人間に似た知的生命体であったとしても、他所の生命体は有機物でできておらず、脳みそで思考するものではない・・・のかもしれません。そもそも、人間が重きを置いている知性(恥性)すら、地球の理屈に従ったローカルプロダクツなのかもしれませんね。

 そんな理屈を7歳児にでもわかるように話していたら、息子にとっての宇宙人は「毎年やってくる春のようなものかもしれない」、「名前だけあって見えないもの、いないものなのかもしれない」、ということになったようです。少なくとも、ヨーダやETのようなものではなく、ましてやUFOに乗って人さらいをするグレイのような宇宙人像ではなくなりました。
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by senang | 2006-01-27 01:14 | 【0】センシブルワールド
新・進化論 2 細分化(分業化)の末路
 進化は環境への適応。その法則の1つが細分化であると言えます。生物は環境の差異に合わせて生活方法や形状を多様化させ、分化していきます。そして、分化は新しい種を生みます。
 例えば、ギフチョウはカンアオイしか食べません。しかも、カンアオイなら何でも良いというわけではなく、亜種も含めて生息場所に生えている1種類のものしか食べません。カンアオイ科の植物は拡散して増えることがとても苦手ですので、ギフチョウはきわめて脆い存立基盤の上で生きているということになります。

 人間も細分化しています。特に注目したいのは、生理機能的にではなく社会的に細分化しているという点です。それは分業化とも表現できます。
 例えば、生涯にわたって靴をつくり続けている人がいます。もっと突き詰めると、靴底や靴ひもなどのパーツをつくることだけを仕事としている人がいます。靴を売るだけの人もいます。ほとんどの民族にとって、靴は生活になくてはならないものですが、生活は靴だけで成り立っていません。でも、朝から晩まで靴をつくって生きている人がいるわけです。それで生きていけるわけですし、そうしないと生きていけないとも言えます。
 それぞれに専門分野があり、そこでできた「分業の成果」を持ち寄って大きな社会が成り立っています。多くの現代人が、分業化の一端となって生活しています。

 ところで、分業化によって与えられた仕事をこなすことに忙しすぎて、自分の守備範囲しか考えられなくなったらどうなるでしょう。何のために・どうやって・どんな靴底をつくるのかという意思がそがれれば、何とも履き心地の悪い靴ができあがってしまいます。これはあらゆることに共通しています。例えば、国民のために・国民の声を聞き・夢のある社会をつくるという意思があったとしても、それを考えて実行するはずの政治システムが分業化されて全体視できなくなっていれば、分業のナワバリを保持することに傾注してしまうことも不思議ではありません。
 現代社会は、往々にしてそのような方向に動いてきているのではないでしょうか。そして、細分化あるいは分業化の一層の進展は、社会的機能不全を引き起こしてしまうのかもしれません。

 もしも進化の末路がそのように仕組まれているのなら、(発生から消滅までの期間の長さに差はあるにせよ)生物の絶滅や社会の崩壊は最初からわかりきったことだったのかもしれません。それは種や文明としての寿命だと解釈することもできるでしょう。
 あくまでも仮説に過ぎませんが、「細分化=絶滅」というベクトルがあるとすれば、多様化の進行は危険サインなのかもしれません。今の社会、良くも悪くも色々な人がいるということをどう意味づけますか?
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by senang | 2006-01-27 00:39 | 【0】センシブルワールド
資源配分マスター
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 閉鎖型循環系という地球では、生物が生きていくための共通ルールがあります。太陽エネルギーを発端としたエネルギー循環があり、その枠内で生存していくということです。薄くて脆い地表で、エネルギー循環を急激に乱す、インプット以上のエネルギーを消費するなどのルールを破ると、当然ながらおかしなことが起こって生命が危険にさらされます。
 この考え方に基づけば、超えてはならない限界値があることに気づきます。別の角度から見ると、所属する環境の限界値に応じて、生物に許されたエネルギー消費量が決まっているということになります。
 環境容量に合わせて成長の限界を見極めるのか、成長し続けていくために環境容量を増やそうとするのか・・・。前者の道を歩んできた者もいれば、主として後者の道を歩んできた者もいます。今の人類は、紛れもなく後者ですね。
 右肩上がりの文明には、もうすぐ限界が訪れます。これからの時代、バイオマスの再生産なども含めて、限られた資源の中で生きていかなければなりません。それらの持続性を保障する観点から、文明を節度あるものに再構築する必要があるでしょう。

 ところで、限られた資源の配分は誰が決めるのでしょう?地球のリズムをしっかりと聞き取ることができるのなら、自発的にバランスを取ることもできると思います。でも、今の人間にそれができるのか、とても怪しいと言わざるを得ません。
 残された方法は、意識的に自制することのような気がします。まず、インプット(太陽エネルギー)とその循環効率を考え、循環系を把握すること。次に、循環系の中にある適正な環境容量を計算すること。それに従い、消費可能なエネルギー量を決めること。勿論、エネルギー消費の中には、再生産に必要な行為も組み込まなければなりません。
 そんな計算を行い、適正な配分を行うマスターが必要なのかもしれません。現状の国家がその役目を担うなんて到底無理だということはわかりきっていますね。経済界もNG。宗教も論外。つまるところ、今の支配層には適任者がいないというわけです。

 そんな現状を打破し、新しい価値観で資源配分を行うマスターが数年以内に出現しなければ、人類は大きな痛みを伴うことになると思います。マスターは資源の配分を行うだけではなく、環境容量に合わせて人間の数や文明の発展度合いを規制する役割も併せ持つ必要があります。
 個人なのか組織なのかはともかく、世界規模で人類をマネージメントする存在の必要性を強く感じています。

<参考> 「環境容量」という考え方
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by senang | 2006-01-26 01:07 | 【0】センシブルワールド
その日暮らし
 その日暮らしで生きている人は狩猟採取民族の血を引いているのかもしれません。最も原初のその日暮らしは、手を伸ばせば食料があるということではないかと思います。蓄えておかなくてもよいということです。獲物を追って汗を流すことはあったでしょうが、狩猟採取という生き方は、基本的に豊かな条件でしか成立しないというわけです。
 一方、農業は食料を人為的に確保する目的があります。慢性的に豊かではない条件のもとで発達したのではないかと思います。もしかしたら、自生している木や草から食料を採取するより、大きな労力を必要とするのかもしれません。そして、収穫物は来シーズンまで蓄えておかなければなりません。その日暮らしができないのです。

 これ、狩猟採取民族と農耕民族が根本的に違う部分だと言えると思います。そして、そんな生活スタイルの違いは、必然的に文化の違いにもなっていきます。
 今の時代、その日暮らしといえばいい加減の象徴のような感じを受けます。でも、物に執着しない考え方、人間関係に依拠しない生活(農耕を維持するためには共同体が必要)、何より地球のリズムとともにある生き方は、その日暮らしを原点に置くと何かが見えるのかもしれません。

<参考> 農業の興りは欠乏と貧困だった
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by senang | 2006-01-25 21:11 | 【0】センシブルワールド
ウィルス撃退方法
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 人間が住んでいるのは、せいぜい水面上数十m。たまにビルという脆い足場でつくった地上数百mの空間に住んでいる人もいることはいます。また、海抜数千mのところに住んでいる民族もいます。いずれにしても、地球全体の大きさから見れば薄いもんです。
 薄い存在ですが、地表を覆って地球に痛恨のダメージを与えていることもあります。それはまるで、目に見えないけれど重大な症状を引き起こすウィルスのようです。

 ウィルスは宿主が死んだら死滅するのでしょうね。宿主を滅ぼそうとするのは、そうとわかっていてやっていることなのか、わからずにやっていることなのか...?
 人間も地球にダメージを与え続けたら死滅するのでしょうね。地球にタメージを与え続けているのは、そうとわかっていてやっていることなのか、わからずにやっていることなのか...?

 人間が住んでいるのは、せいぜい水面上数十m。つまり、地球の内部に届くような投薬をしなくても、大きな手術をしなくても、ちょっとした天変地異で海に沈んで一掃されてしまいます。都市部の多くは海岸線に位置していますから、効率よく一掃できます。

 実のところ、人間はウィルスより脆い存在なのかもしれません。
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by senang | 2006-01-24 21:21 | 【0】センシブルワールド
フィクションからリアルを変える
 このブログが「センシブルワールド極楽」となる前、ごく私的な小説集「極楽」なるものを書かせていただいておりました。ブログの衣替えに伴い、これまでのコンテンツはお蔵入りしていたのです。
 気が向けば、そのうちどこかに再アップしてみようかなぁとあてもなく考えていました。そしてこの度、新たにホームページにアレンジして公開することにいたしました。公開に至った経緯は、このようなことです(ホームページ「おわりに」より)。
  ↓
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 しかし今、フィクションとリアルを分断して考える必要はないということに気づいたのです。そもそも、フィクションとは何か?空想?空想って何?
 現実社会の動静は、人々が考えていることや行いの結果だと思います。そして、人々が考えていることは、多かれ少なかれ空想に依拠している部分があります。そうであれば現実ではないことにも大いなる意味があるのかもしれません。具体的に言えば、フィクションを世に出し、それを読んでいただくことで複数の人々に共通のイメージを想起させ、世の中が変わっていくという可能性もあり得るわけです。

 つまり、リアルは人間の共同幻想を介して、フィクションと意味を交換しながら存立しているならば、フィクションにも立派な役割があるとうことです。そして、それが公開の動機です。

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 ということで、お暇ならのぞいてみてくださいね。

 極楽(Fiction World)
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by senang | 2006-01-23 20:23 | 【0】センシブルワールド