カテゴリ:【1】限りある資源( 12 )
便利時代 その2
 我々の周囲を見回すと、大量の化石燃料を使っているということを認識させられます。乗り物を動かし、物を生産し、プラスチックなどの原料でもあります。かなりの部分を化石燃料に頼っていることから、「化石燃料文明」と呼んでも差し支えないでしょう。物質的な充足を確保し、それに根ざした文化や思考も育まれてきました。

 今、化石燃料がなくなったらどうしましょうか...?

 最近では、バイオマスエネルギーに加えて木質プラスチックなども開発されてきていますので、このあたりに化石燃料からの脱却を果たし、循環型資源へ切り替わるための活路を見出したいと考えています。しかし、次の2つの局面を迎えることになると考えられます。

1.技術の未成熟によって一時的に「不便になる」

 現在の技術水準では、完全に化石燃料の代替とはならないと思います。仮に、化石燃料の代替手段としてバイオマスが主軸になったとしても、現在と同等レベルの文化・文明を支えるだけのエネルギーやマテリアルにはなり得ないでしょう。
 バイオマス利用を主とした場合、技術的に発展途上であるため、現在の文化や生活は否応なく転換点を迎えることになります。見方を変えると「不便になる」ということでもあります。まず、このことに耐えられるかどうかが我々に課せられた課題だと言えるでしょう。
 厳しい言い方かもしれませんが、耐えられるか耐えられないかが問題ではなく、耐えざるを得ないという表現が正確なのでしょうね。

2.「環境容量に基づく資源である」という性質によって「便利」の定義が変わる

 技術の進展だけではなく、価値観にも変化が要求されます。限りある資源をいかに持続的に使うかということが至上命題になるため、これまでのように果てしない成長を志向することはナンセンスでしょう。ひたすら快適さを求めるバブリー志向も過去のものとなり、個々人に倹約と自立心が要求されることになります。
 生きるためや社会を維持するために、これまで考えもしなかった負担や努力が必要になることでしょう。今は、辛いことや嫌なことに対してすぐに「無理」と言う子供や親が増えています。生存上限の絶対値とも言える「環境容量」を設定し、その中で生き方や暮らし方を組み立てることは、このような子や親に喝を入れる良い機会かもしれません。そうこうしていると、ゆくゆくは「便利」の定義も変わってくるかもしれません。

 便利な時代、正確には「バブリーな便利時代」は、我々の世代で終焉を迎える・・・。言い換えれば、資源の転換を考えると、これからは好むと好まざると不便な時代に突入するということです。
 どれだけ不便になるのかはよくわかりません。しかし、確実に言えるのは、怠惰や快楽を無制限に追求できない時代、浪費することに何らかのお咎めがある時代になるということです。
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by senang | 2006-10-11 18:27 | 【1】限りある資源
直接燃料と蓄電池
 エネルギーファームから採取できるエネルギー源として、エタノールを中心とした燃料があります。これらは、それ自体が燃焼して駆動力を生むものであるため、「直接燃料」と呼ぶことができます。
 一方で、エネルギーの形としては、発電を行ってそれを蓄積させて駆動力とする「電池式」もあり得ます。発電・蓄電の方法は様々であり、木質系ボイラーによるもの、水力、風力、太陽光などが挙げられます。エネルギーを電気に変換すれば、蓄積が可能であることに加え、電線を通じて容易に遠方まで輸送できるというメリットがあります。
 もっとも、何がベストかということは単純に判断できません。用途、必要な熱量や瞬発力、輸送の容易さ、連続使用が可能な時間などによって、何が最適なのかが異なるためです。

 いずれのエネルギーも、生産コストに照らし合わせて実用可能かどうかが判断されることになるでしょう。当面重要なのは、設備投資、原料の確保、精製や発電・蓄電にかかる費用などを差し引きしても、損益が出ないということになります。

 直接燃料の場合、その精製に専門的で高価な設備を必要とするものも出てくるでしょう。一方、電気だと汎用性が高く、輸送も比較的容易であるため、長い目で見て効率の良いエネルギーと言えるのかもしれません。将来は、発電施設の整備と、蓄電池の改良・普及が進むことも考えられます。
 これまで、「米→アルコール→自動車の燃料」のような直接燃料系のエネルギーの確保と利用を主流に考えてきたところですが、「木材→ボイラー→発電→蓄電→電線や電池で輸送→充電式自動車」という電気系の路線も検討の余地がありそうです。
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by senang | 2006-09-30 02:53 | 【1】限りある資源
山道の草刈りで思ったこと 2 農山村用機械の燃料
 草刈りでは草刈り機を使います。ご存じのことと思いますが、これは混合燃料で稼働します。1日中草刈りをすると、1リットルちょっとの燃料を使います。
 草刈り機の他にも、チェーンソー、耕耘機、トラクター、コンバイン・・・。農山村で使われる機械は数多くあります。現在、バイオエネルギーの生産と利用を重点的に考えているところですが、まずはその生産現場である農山村において、機械のバイオ燃料化を積極的に進めるべきだと思います。
 馬力の大きな大型(乗用)機械は、大きな技術開発が必要かもしれません。それでも、せめて小型エンジンの類はエタノール100%で動かすなどの進展があってもよいと思います。
 燃料生産(供給)と使用技術(需要)をセットで進めなければ、この実現は難しいでしょう。しかし、本気で進めれば、かなり短期間で実用化できると考えているところです。

 農家(エネルギー作物生産者)&杜氏(エタノール精製者)&メカニック(エタノール利用機械の開発者)でチームを立ち上げてみるのも良いかもしれませんね。
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by senang | 2006-09-05 17:42 | 【1】限りある資源
広島県北部ローカルエネルギー構想
 先般、広島県にてまちづくりに関するワークショップがありました。7グループに分かれて議論し、今後に必要な活動を計画として組み立てていきます。ほとんどが高齢化への対応、観光、定住などのテーマに沿って町の活性化を指向していた中、僕が受け持ったグループではかなりユニークな案が出たところです。「ローカルエネルギーの実現へ向けて」というタイトルで、バイオマスなどを中心としたエネルギー供給・利用を考えました。
 前回、バイオマスエネルギーに関心のあるおじいさんが口火を切り、これに呼応して今回は農家のおばちゃんが新聞記事を持参し、アルコール発生のプロである杜氏さんが玄人肌の的確なアドバイスをするという具合に、短時間であれよあれよと話が展開していきました。グループでの話し合いだけでは勿体ないので、ここにアップさせていただくことにします。

「ローカルエネルギーの実現へ向けて」
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by senang | 2006-08-28 17:38 | 【1】限りある資源
電気が切れただけでこの騒ぎ
 電気が切れただけでこの騒ぎ。その電気の源は海外から買っているわけです。このことに危機感を持った日本人はどれだけいるのでしょうか?事故で送電線が切断されるということ以上に、エネルギーが輸入できなくなったら・・・と、根本的なことを考えませんでしたか?
 のど元を過ぎても、いえ、のど元を過ぎてからこそ、自給の重大さを真剣に考えていただきたいものです。「大規模停電に対する首都のぜい弱さが露呈した」で終わらせるのではなく、「ではどうするのか」を考えましょう。

 「エネルギーを自給し、小地域での流通を促進すること」に尽きるのではないかと思います。

<大停電>足止め27万人 ゆりかもめ、橋上でストップ [ 08月14日 10時11分 ]
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by senang | 2006-08-14 13:30 | 【1】限りある資源
輸送の距離と費用は大幅に縮減される
 化石燃料を採取できるところは限られています。誰もがご存じのとおり、石油は中東で採れるということが最も代表的な例でしょう。
 一方、再生資源であるバイオマスが得られる場所は、地球上に多く存在しています。勿論、極地付近や砂漠地帯などで植物は育ちませんが、化石燃料の埋蔵箇所よりはるかに広く分布しています。主要な資源産出地が変わることで、輸送に関する距離とコストは大幅に縮減します。

 転じて、日本に目を向けてみましょう。ほぼ全土が森林地帯であり、資源が「点」ではなく「面」として分布しています。これをうまく利用すれば、遠いところから資源を運んでこなくても、手近なところで得ることができます。そうすると、輸送の距離が短縮されると同時に、それにかかる費用も削減されます。

 日本のバイオマスの分布とその輸送に着目すると、物流の常識を覆す必要があります。

 現在の物流は、他の国や分散している産地で得られる資源を一カ所に集め、そこから再配分することが一般的です。石油であれば、大型タンカーに積んでコンビナートに集積され、石油会社を通して日本各地のガソリンスタンドに運ばれます。また、野菜なども市場に集められ、そこを起点にトラックで運ばれて店に並びます。
 このような物流の常識に対して、これからはより強力に地産地消を進むことになるでしょう。バイオマス、とりわけ森林資源について言えば、「集積と再分配」という発想が合わなくなり(余計に効率が悪くなり)、流通の圏域として設定されていたエリア設定も狭くなると考えられます。食糧もこの発想で進めていくべきだと考えます。

 話を再生資源の分布に戻し、世界規模で考えてみましょう。
 これまで石油産出国であったところは砂漠地帯です。当然、バイオマスが乏しく、たちどころに資源のない国になってしまいます。生長量の低い極地付近も、砂漠化が進んでいる中国内陸部も、同様に資源のない地域として位置づけられます。これらの地で木を植えて育てる活動を興しても、今からだとかなり時間がかかります。それが資源として利用できるようになるより早く、石油が枯渇してしまうかもしれません。

参考:「経済発展の生態学 -貧困と進歩-」
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by senang | 2006-08-12 13:05 | 【1】限りある資源
今のうちに「資源配分マスター」を
「放っておいても森林資源の需要は高まる」
「だから今、需要についての心配をしなくてもいい」

 今日はかつての師とこのような議論をしました。 そして、森林資源の用途はエネルギーだけではなく、「再生資源」として多様性が見込まれるとのことです。「再生資源」とは、化石燃料のように使い尽くしたらなくなる(非再生)ではなく、永続的に再生可能なものを意味しています。
 そして、師は続けます。

「今すべきことは、需要に応えつつも供給のバランスを保つための方法を考えることだ」

 つまり、来るべき森林資源時代に備え、過伐や乱伐を規制する仕組みを今から考えておくべきだということです。言い換えれば、「再生資源」が再生不可能な事態に陥らないようにするということになります。
 このような議論の後、2人で意見が一致したのは、「資源配分マスター」が必要であるということでした。ただし、それが人なのか、機関なのか、企業なのか、計画なのかなどについては漠然としたままでした。そこで、今後は「資源配分マスター」が何なのかということを具体化していく必要があります。ただし、現行の行政、研究機関(者)、森林所有者は、「資源配分マスター」として不適合だということでも合意したところです。

 師は、これを確立するためのタイムリミットは15~20年と見ていました。

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※写真はイメージです。
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by senang | 2006-08-10 23:59 | 【1】限りある資源
古老の未来ビジョン
 先日、ある会合でおじいさんが突如として口を開きました。80歳に届く年頃とお見受けしました。演説が長かったので、要点だけまとめると、次のようになります。
  ↓
 「石油が高騰しているように、これからはエネルギーの不足や高値が問題になると思います。その一方で、田舎には放棄されたままの農地がたくさんあります。そこへトウモロコシやサトウキビを植えて、エネルギーを生産したいんです。」
 そんな話をしていたら、隣に座っていた無口な男性が口を開きました。「米は18%と、アルコールが抽出できる率は一番高いんですよ」と。実はその人、杜氏さんでした。

 次の日、おじいさんの住む地区を訪ねました。地区住民に対して同じ主張を繰り広げ、「この地区の農地でエネルギー生産をすることがわしの夢なんです。県内に有名な自動車メーカーもあるから、そこと連携して燃料利用を実用化できないものかと考えています。今度、栽培や燃料化の技術開発を進めようと市長に言ってみようかと考えているんですが、どうなることやら。20年後までには実現したいですね。」と語っていました。

 それを聞いた地区の人々は、「そこまでしなければ京都議定書は守れんかもしれんなぁ」と、理解を示していたことが印象的でした。
 エネルギーファーム計画、この地区なら現実のものにできるかもしれません。
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by senang | 2006-06-28 19:18 | 【1】限りある資源
残された時間は5~10年(森林資源の利用にあたって)
 日本の土地はわずかな例外を除いて所有者が決まっています。その中でも、特に所有が不明瞭になってきている森林について調査を行いました。
 本題に入る前に、森林の所有をめぐる状況を簡単に説明しておきましょう。住民や集落や村が所有者として森林を持つことになった大きな契機は、明治時代の地租改正です。この制度が成立した要因は、定常的に税金を取り立てるため、土地に着目して所有者を設定し、租税をかけるというものです。森林も例外ではなく、分割して集落在住者に分配し、所有(権)を認めました。その後、部落有林野(集落単位でみんなが共同で所有・管理していた山)の解体が進んだことなども、個人所有に拍車をかけることになりました。

 かつて、森林は生活の場や生産現場として積極的に利用されてきました。燃料として使う炭を焼き、資材として利用するために木を伐り、時には山そのものを焼いて焼畑にするなど、まさに知恵と技が集積されていたのです。しかしそれは、一方的な収奪ではなく、伐って使って育ててまた伐って使うという再生サイクルが重視されていました。それを守るための厳しい掟を定めていたところもあります。そこには、人と自然の高度な関わり方が存在していたわけです。
 このような関わりが断ち切られたのは、1960年頃から始まった燃料革命と高度経済成長期です。炭や薪がガスや灯油や電気に替わったために山での仕事がなくなりました。その一方で、ガス代、灯油代、電気代を払うために現金収入が必要となり、農山村の人々は自給自足的な生活を離れて都市部へ働きに出るようになりました。
 1960年頃まで働き盛りだった人は、山が「現場」だったわけですので、山のことを良く知っています。ただし、それ以後に働き盛りを迎えた人は、山で働いた経験がないため、山のことをほとんど知りません。前者は昭和一桁世代と呼ばれる人々で、今は70歳代以上となっています。つまり、70歳代と60歳代では森林との関わり方に決定的な差異があり、その差異は森林をはじめ自然に対する考え方や価値観などにも影響しています。

 時は流れて現在、昭和一桁世代が亡くなる時期に突入しています。そうなると、所有権は次世代に移り、大方の場合、所有者(正確には納税義務者)は昭和一桁世代の子供世代である50歳代以下となるわけです。次世代が山の状況や山での暮らしを知らないというのは、かなり深刻なのです。
 まず、自然との関わり方を知る者がほとんどいなくなってしまいます。これは技術的なことだけではなく、価値観や自然観なども含まれています。様々なことが昭和一桁世代の消滅とともに途絶えてしまうわけであり、今のうちに知恵や技を受け継ぐことができるのかが問題です。
 次に、次世代は固定資産税を払っているのに、自分の家の山がどこにあるのか、境界線がどうなっているのかがわからないという状況になります。悪くすると、納税に裏付けられた権利は残るものの、実のところはその財産の管理すらできない状態なのです。悪意はなくても、管理したくても管理の対象がどこにあってどうなっているのかわからないという事態になりかねません。もしもそうなったら、バイオマスなどの新たな資源利用を進めようとしても、目の前に資源があるのに利用できないということになってしまいます。

 日本の国土の7割は森林です。この持続的な資源に基づいてエネルギーなどの自給率を上げることができなければ、決して日本に明るい未来はないでしょう。それは、森林の状況をよく知り、森林との関わり方や価値観などについても重要な鍵を握っている、昭和一桁世代をどう活かすのかにかかっています。彼らが持っているものをどこまで継承できるのか…?森林の可能性を引き出すために残された時間は、彼らの存命中の5~10年ということになります。

 もうほとんど時間はありません。
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by senang | 2006-06-16 10:05 | 【1】限りある資源
じゃんじゃん米をつくれ!
 僕が住んでいる町に専業で農業を営んでいる知り合いがいます。年齢は50歳くらいで、いくつかの職業を経た後、家を継いで農業を始めました。我が家とは家族ぐるみのつきあいをしており、先日も雑談をする機会がありました。その時、時代の先を見越したアイディアがどんどん出てきて、日本の農業の未来に少しだけ明るい展望を持ったところです。
 燃料作物の栽培と実用化は、ブラジルのサトウキビが有名で、最近はアメリカもこれを追従しようとしています。また、ヨーロッパではエタノールとガソリンを混ぜた燃料に対応したエンジンを搭載した車が普及し始めています。少しずつですが、化石燃料からバイオ燃料へといったエネルギー転換が起こっています。
 一方、日本の農業の中心は稲作。食糧自給率が低い日本において、米だけは自給率100%です。さらに、1970年代以降の減反政策によって、水田のおおよそ3割で米をつくらなくなりました。そこで、その方は「米を燃料にする」というプランを持っています。米をアルコール化し、燃料にしようというわけです。
 日本は米で酒(アルコール)をつくってきたわけですから、醸造のイロハを知っています。燃料用の米であれば、食味値はどうでもよく、とにかく量が勝負。放棄された水田も復活させて、とにかく米をつくればよいわけです。自動車メーカー各社が進めているハイブリッドカーの開発は、少し方針を変え、アルコールで動く車の開発に重点を置いてもよいでしょう。
 減反3割という実態を見ると、土地資源の面で生産余力はあるわけです。農地は食糧をつくる場所だけではなく、エネルギーをつくる場所としても注目すべき時代が来るのかもしれません。
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by senang | 2006-05-30 18:26 | 【1】限りある資源