カテゴリ:【1】持続的な生き方( 13 )
あなたは生活レベルの低下に耐えられますか?
持続的な生き方へ移行する過程では、得るものもあれば失うものも多くあります。

化石燃料からの脱却がもたらす物質的充足度の低下
 まず、エネルギー効率の良い化石燃料を使わない方向へ進んでいくわけですから、あらゆる面で生産性が落ちます。大量の物資を運ぶ大型船が運行できなくなれば、長距離輸送が難しくなり、資源や物資の供給量が十分にできなくなります。つまり、物質的充足度が格段に低下します。
 物資が入らなくなると、日本はあっという間に困ったことになるでしょう。例えば、食糧自給率が4割ですから、単純計算すると6割が飢えるということになります。食糧や物資の争奪戦が国内で起こるかもしれません。
 次に、1日で地球の反対側まで行ける飛行機が航行できなくなれば、生活の速度(時間認識度)は緩慢になり、移動距離(空間認識度)は短くなります。時間と空間の認識度が狭まれば、第三次産業が主力である日本は労働力を消化しきれなくなるでしょう。職を失う者が溢れ、失業率が上昇し、経済危機が訪れることになります。「景気がちょっと上向いた」、「今は中国の勢いが凄い」などの近視眼的な舵取りをしていると、経済そのものが破綻してしまうでしょう。

持続的な生き方とは「物質的豊かさ」を捨てること
 持続的な生き方を実践すること。つまりそれは、今の水準の生活を維持できない(維持すべきではない)状況に正面から向き合うことでもあります。100年前の生活というほどではないと思いますが、物質的充足度に特化した「現代的快適生活」から距離を置くことが必要になります。
 そんな生き方を積極的にとらえれば、消費社会で至上とされてきた物質的豊かさを捨てることになります。持続的な生き方の第一歩は、捨てることや手放すことから始まると言えるのかもしれません。そして、物質的豊かさを手放せない者は滅び、物質的豊かさと引き替えに資源の持続を確保できた者が22世紀に生き残るのだと思います。

道を誤れば全人類的なカタストロフィに突入?
 「今の生活レベルを落とすのは無理だ!」と憤慨しちゃった人、「そんなに慌てた話ではない」とタカをくくっちゃった人、「誰かがやってくれるだろう」と他人に運命を預けちゃった人は、いずれ淘汰されてしまうことになると思います。これまでの経験から、当事者意識に薄く、せいぜいこの先20~30年くらいしか考えていない人が圧倒的大多数であることを思い知らされました。つまり、今、天変地異や情勢不安などで急激な転換に直面すると、大半の人間は滅んでしまうのかもしれません。あるいは、大半の人間に引きずられて、人類そのものが存続の危機に瀕してしまう状況も大いにあり得ます。その後は全人類的なカタストロフィが待ちかまえていて、おおよそ文明的生活とはほど遠い未来になる可能性も否定できません。
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by senang | 2006-05-15 23:06 | 【1】持続的な生き方
21世紀によみがえらせたい「縄文の自然観」
 太陽エネルギーとそこから生まれるバイオマスは、持続的に再生産されるものであると言えます。しかし、無尽蔵にあるものではなく、生物の成長の量とスピードに応じて生産の上限(環境容量)が決まっています。これからの時代、ここに着目して、エネルギーや食糧の維持を考えていくことが重要になると思います。
 我々は、バイオマスの活用を全く新たなものとしてつくりあげる必要はないのかもしれません。なぜなら、日本人はかつて自然や生態系の中で持続的な生き方を実践していたからです。環境との対話の中で、どこまで自然に頼っても良いのか、何をどれだけ収奪して良いのか、さらに、環境の維持のために何をすれば良いのかを知っていました。
 ただし、今の暮らしはこのことを忘れ去り、自然とのつながりを断って生活しているため、改めて強調しなければならない時代になっています。

 日本の地で、縄文人とその後に台頭してきた弥生人。かなり大雑把な括り方をすると、縄文人=狩猟採取民族、弥生人=農耕民族という形で対比されてきました。この分け方は間違ってはいないと思いますが、厳密には、環境容量を熟知してそれに従って生きてきたのが縄文人、安定して食糧を得るために農耕という手段で自然を加工・管理してきたのが弥生人、と解釈することができます。それぞれの生き方は、自然との関わり方が異なるだけではなく、精神部分でも大きな差異があったと推測できます。

 バイオマスの利用を考えると、エネルギーや食糧を生産するために農地や林地を造成する必要があります。これだけを切り取ってみると、自然を加工・管理する弥生的行為であると言えるかもしれません。しかし、加工・管理の技術力を上げることに心血を注いだ結果、環境を破壊することになっては元も子もありません(実際、現在の農林業はその方向に作用しているものもありますが…)。
 持続的な利用を考えるのであれば、環境との共存を保つこと、すなわち、エネルギーや食糧を収穫する以前に環境全体を維持していかなければならないことは明白です。これは、縄文的発想であると言えるでしょう。

 バイオマスの利用だけではなく、「縄文の自然観」に基づいてあらゆる社会観や人生観を再構築すること。それは、21世紀の世に大幅な価値観の転換を行い、持続的な生き方を考えるためのキーワードになると考えています。
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by senang | 2006-05-13 23:56 | 【1】持続的な生き方
限界を認識する
 あらゆる点で現代社会に限界が訪れていると感じていることはありませんか?燃料(エネルギー)、食糧、社会的価値観・・・。100年後の世界について考える前に、今の状況の位置づけをハッキリさせておく必要があります。つまりそれは、今の暮らしがあと何年続くのか、その結果として何が起こるのか、ということです。

物質的(物理的)限界
 地球上の生命体が生きていくためには、地球の物質を利用しています。中でも最も多く物質を利用している人間に絞って考えてみましょう。
 エネルギー源の多くは、石油などの化石燃料です。常に埋蔵量が取り沙汰されているように、これは掘り尽くしてしまえばなくなってしまいます。新たな油田を発見したなどのニュースに湧くことがあるかもしれませんが、いずれにしても「有限の資源」です。
 世界の人口はどんどん増え続けています。その結果、より多くの食糧やエネルギーを必要とします。食糧について考えると、生産する場所=農地が必要になります。陸地は地球上の約3割で、そのうち耕作可能な面積となるとさらに限られてしまいます。最大でどれくらいの農地が確保できるのかは知りませんが、これも「有限の資源」というわけです。現在のペースで人口が増え続けると、農地が不足してしまうことは明白です。
 同様に、水も限られた資源です。水は流れて溜まって蒸散しながら地球上を循環しているわけですが、人間が利用できるのは地球上の水の約0.8%。人口増加などで水需要が高まれば、これも不足していくことになります。
 以上、化石燃料、農地(土地)、水を例にとって、物理的限界を示しました。このうち、化石燃料は再生不可能ですが、水と土地は使い方次第で永続的に利用することが可能です。

人間の意識の限界
 地球上の資源が有限であることは誰もが認識しているでしょう。それを具体的な数値で示すことはできなくても、直感的に限界を感じ取っていると思います。
 しかし、今の状況を考えた時の最大の問題は、資源に限界があるということではありません。資源の限界をわかっていながら何もしないということの方が、本質的な問題ではないでしょうか。個々人も含めた現代社会には、「先が見通せない」のではなく、「先を見通さない」体質があるということを指摘しておきます。
 また別の角度から考えると、資源が限界に達していなくても、人間は資源の分配を行う知恵に欠けているところがあります。例えば、農地が上限に達していなくても既に飢餓は発生していますし、全世界的にそれを解消しようとする以前に、自国の利益、民族の優位性が大義名分として働きます。
 つまるところ、人間はせいぜい数年先という時間的広がり、1つの国程度に相当する空間的広がりの中でしか物事を考えられないのかもしれません。
 こんな状況で100年先を見通すことができるのかどうか?100年先を見通すことのできる人が果たして何人いるのか?そんな気持ちになってしまいます。

「持続的な生き方」とは?
 物質的限界から見えてくる必要な取り組みは、まず、化石燃料を使わないエネルギーを生み出すことです。いきなり石油のない生活に切り替えることはできませんので、現在のペースをダウンさせながら、新しいエネルギー源を模索する必要があります。これについては、太陽エネルギーに期待しています。中でも、バイオマスエネルギーには大きな期待を寄せているところです。バイオマスエネルギーも光合成によって物質化した資源が元になっているので、間接的な太陽エネルギーであると位置づけることができます。
 次に、地球の資源的上限の中で収奪し尽くさない生き方を組み立てること。つまり、既存の土地や水の限界の中で生きられる人口を維持しなければなりません。「成長型社会」ではなく、「安定型社会」をつくることになります。そのためには、世界の人口を適正規模に抑えることが必要になります。

 でも本当は、持続的な生き方を考えるにあたっては、「先を見通さない」という性質を持った人間の意識が最も大きな障壁なのかもしれません。本当の意味で100年先の世界、持続的な生き方を考えることができるのは、個人的にはかなり少数であると感じています。

 限界を認識し、「どうすればよいのか?」を考える用意のある人。100年後に生き残っていられるのは、そのような数少ない人だと思います。
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by senang | 2006-05-08 11:35 | 【1】持続的な生き方