カテゴリ:【1】地球のリズム( 14 )
クマ接近!
 先週に続いて再び山へ行ってきました。総勢3名で、雨が降って霧もたちこめる中、午前中はほぼ尾根伝いに進み、午後から急なコースを通って下山しました。カッコウ、ツツドリ、ホトトギス、ヤマガラ、コガラ、シジュウカラ、ウグイス、オナガ、アカショウビン・・・。鳴き声の紹介だけではなく、今回はカメラを忘れずに持って行ったので、状況もお伝えすることができます。山頂付近の霧に包まれた樹海をご覧ください。
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 山頂の約1km手前に長い階段があり、その途中でひと休みしていた時のこと。突然、上の方から何かが駆けてきました。ガザガザガザと笹藪を無造作にかき分ける音が、かなり早いスピードで近づいてきます。僕がとっさに「何か来る!」と言うと、座っていたあとの2人も慌てて立ち上がりました。
 このあたりにシカは生息しておらず、イノシシの生息域ももう少し下。なので、大型動物となるとクマの可能性が高いのです。中国地方ではクマによる人身事故が頻繁に起きています。出会い頭が最も危険で、飛びかかられてとっくみあいになったまま斜面を転げ落ちた人もいます。
 この日は、よりによって熊鈴をつけていませんでした。そのため、3人は慌てて「オォ~!」、「ウォォ~!」と叫び、手を振り上げてこちらの存在を知らせたのです。そうすると、あちらも20mくらいむこうで動きをピタリと止めました。
 お互い、見えない状況で膠着状態が続きました。クマに遭遇した時の鉄則は、「刺激しないようにゆっくり退散」。死んだふりをしても効き目はありません。3人は大きめの声で話し続け、上へと急ぎました。

 歩きながら、「元々はクマの通り道に人間が道をつくってしまったんだ」と、1人が話しだしました。確かにそうなのかもしれません。「人間が歩くところをクマが横切る」のではないわけです。
 そこで、人間と自然の関係について考えさせられました。今の時代、「人間vs自然」、「人間vsその他の動物」という考え方がメジャーになっているような気がします。しかし本当は、人間は自然の一部であり、その理の中で生き続けるべきではないかと思います。「自然に返る」のではなく、「自然の一部であることを思い出す」。

 様々な分野で技術が発達した今の世の中にあっても、そのことが重要だと思いました。

 クマとでくわせば必死になります。農家や高齢者にとっては、作物を荒らす害獣でもあります。一昨年は人家付近での出没が多く、安全確保のために射殺されたクマも多いと聞きます。しかし本来は、クマを排除することに技術を使うのではなく、ともに生きていくことに知恵を絞り、技術を活かすことができないか・・・と思いました。

 様々な分野で技術が発達した今の世の中にあるからこそ、そのことが可能だと思いました。

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 登山道の入り口にある看板です(今回はここへ下りてきました)。
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by senang | 2006-05-21 02:26 | 【1】地球のリズム
地球を外から眺めてみる
 遠大なこの世の中の宇宙、宇宙の中の小さな小さな地球、その地球の表面に暮らす人間。人間はきわめてローカルな存在です。そんな人間が、この世の何をどれだけ知っていると言えるのでしょうか。

 人間が考える程度のことは、所詮たかが知れています。

 盲目の人がいたとしましょう。そして、歩行を手伝うガイドさんもいます。歩き出すための物理的な準備は既にできていても、足を1歩ずつ出し続けなければ前に進めません。つまり、歩こうとする意思が必要なわけです。
 感動的な話を聞いたとしましょう。感動をキャッチする感性を持たず、日々の興味が晩ご飯のおかず程度でしかなければ、数分後には語り手の真ん前で居眠りをしてしまうかもしれません。

 「たかが知れている」で終わらないためには、外部の助けが必要なこともあります。ただし、歩行ガイドや語り手のような手助けがありさえすればよいわけではありません。それを活かすには、自分自身で考え続け、感じ続け、行動していかなければならないのだと思います。
 現代人が真に知らなければならない情報は既に投げかけられており、それを知るための助けも存在しています。地球という範囲に限って見ると、生物の進化、地球環境の変化、そして人間の客観的位置づけなどが大いに参考になるはずです。しかし多くの場合、今の世の中にありながら安穏としていられるのは、社会に埋没し、それらを知らないからだと言えます。いえ、知ろうとしないから安穏としていられると言った方が正確です。

 人間自体たかが知れているわけですから、人間が構築してきた社会もたかが知れています。まず、一切の社会的しがらみを排して、人間であることを忘れて、1つの魂になることが必要です。そして、木々の声に耳を傾けたり、空の上を飛んだり、たまには地球を離れて遠くから地球を眺めてみたりすると、また違った視点で将来を考えることができると思います。

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(過去記事をリライト&再掲)
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by senang | 2006-05-19 10:58 | 【1】地球のリズム
自然は歓迎も拒絶もしていない
 今日は早朝から山登りをしてきました。頂上付近にブナ林が残る1,200m級の山です。

 新緑のきれいな時期で、鳥のさえずりに心が洗われました。一面に霧がかかっていて、上へ登るほど霧が濃くなります。山頂では、霧で5m先が白く靄んでいるほどでした。よく考えてみたら、雲の中を歩いていたわけです。朝から雨が降らないか心配していましたが、雲の中なので湿度はほぼ100%だったものの、幸いにも上から雨が降ってくることはありませんでした。
 一面の新緑は、言葉を失うほどに美しかったです。雲の中で新芽に細かい水滴がついている様子も幻想的でした。「ゴゴゥ」と音を立てて流れ落ちる滝も豪快です。台風や雪で倒れてしまった木々に淘汰のドラマを見て、朽ち果てた大木に時間の重みを感じました。
 山道を登りながら、鳥のさえずりに耳を傾けていました。多くのカラ類がにぎやかにずっとさえずっていました。面白いところでは、「キョロロロロロ・・・」というアカショウビン、その名のとおり「ジュウイチー」と鳴くジュウイチ、「ドドドドドドドド・・・」というヤマドリの羽音が聞こえてきました。姿は見えないながらも、命の躍動感を感じました。
 ただ1つ心残りだったのは、カメラを忘れて行ったこと。この場でも今日の様子を紹介できず、とても残念です(代わりに上空からの様子をご覧ください)。

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 これまで、「自然はいい」と思っていました。しかし今日は、それとは別のかなり淡々とした感覚も常に感じていました。それは、「自然は我々を歓迎していなければ拒絶もしていない」というものです。また、「自然は優しくもなければ厳しくもない、逆に、優しくて厳しいものである」ということも感じました。
 生物は、淘汰、進化、生き残りの結果として今の環境をつくっています。その論理の中で、人間というものは、生物にとって利用できるものなら利用の対象となるでしょうし、利用できなければ放っておくでしょう。また、障害となれば排除するのかもしれません。人間が自然の中に返っていく時には、そのことを忘れてはならないと実感しました。

 今月中に再び登る予定です。次回も木々の間を歩きながら、また違った感覚に浸るのかもしれません。今度こそカメラを持っていかなければ・・・。
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by senang | 2006-05-14 23:59 | 【1】地球のリズム
生物の美しさと淘汰の関係
 時として、生物が繰り出す行動があまりにも巧みなので驚かされます。時として、生物の形状や色、異種間で織りなす生存の妙に感嘆させられます。それを目の当たりにして、我々人間は美しいと思うことも多くあります。

 生物の行動や形や色は、それなりの理由があるから生じる「現象」なのだと思います。それに特定の目的があるのかという問いには明確な答えが出せません。例えば、「色とりどりの花が咲くのは昆虫が寄ってきやすいから」という理由があっても、「○○のために色とりどりの花を咲かせている」というように個体が主観的な目的意識を持っているとは設定しにくいというわけです。

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 ここで、「生物には目的がある」という見方を排除してみましょう。

 生物は生き延びるために数多くのトライ・アンド・エラーを繰り返し、その時々で最善の選択肢が積み重なった結果が現在の姿であると考えてみます。現在の姿に至った影の部分として、生き延びるにはあまり良くない選択をしたために形勢が悪くなったり、場合によっては滅んでしまったりということがあったのかもしれません。現存している生物は、そんな淘汰を経ながら現在にたどり着いたと考えることもできます。特に、環境に対応するために何十種類もの形態変化を試してみて、ヒットしたのはわずかに数例ということもあったでしょう。何万個もの卵を産んで、成体になるのは数%という魚もいます。確立論的に言えば、淘汰に際して講じたトライの結果は、サクセスよりエラーの方が多かったと予想できます。

 言い換えれば、現在生き残っている種の背後には、その何百倍や何千倍にものぼる大量の絶滅があったこということになります。

 生物の形、色、行動などは、数多くの絶滅と引き替えに、生き残りのための試行錯誤が集大成されたものだと思います。だからこそ、洗練されていて、反面では無駄もあったりして、不可思議なところもあり、非道な一面もあるというわけです。そして、我々人間が生物に心を惹かれるのも、生き残ってきた力強さ、緻密さ、無情さを感じ取っているからだと思います。

 生物を擬人化するのではなく、人間臭さを投影するのでもなく、目的を投げかけるのでもなく、本来の姿を見つめる感性を持つこと。それは、今の世の中だからこそ必要なものだと感じています。
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by senang | 2006-05-09 23:56 | 【1】地球のリズム