ヤマガラの雛
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 昨日の昼、妻が鳥の雛を拾ってきました。道路の真ん中にうずくまっていたらしく、このまま放っておくと車に轢かれるかヘビなどに食べられるといった結末が待っているということでした。巣立ち直前に巣から落ちたようで、まだ飛ぶことができません。草を敷き詰めた小さな箱に入れると、隅っこへ行ってじーっとしています。
 羽が生えそろっておらず、頭には産毛が残っています。色合いからして、きっとヤマガラの雛のようです。

 「何を食べるのかな?きっと虫だろう。」

 ということで、妻は汗だくで虫取り網を振り回し、チョウやバッタを追いかけていました。捕った虫を割り箸に挟んで与えるのですが、口を開きません。なので、半ば無理矢理口をこじあけ、虫をねじ込みました。そうこうしていると、そのうち自分から口を開けるようになり、羽をふるわせて鳴きながら餌をせがむようになりました。
 今朝は早くから鳴いて餌を催促していました。妻は再び網を振り回し、虫を捕っていました。その後、知り合いの畑へ青虫を捕りに出かけたようです。

 あと数日もすれば飛ぶことができるでしょう。それまでのしばらくの間、我が家にいてもらおうと思います。



 野山に生きる物の営みに対して、むやみに手を出すべきではないと思います。例え、巣から落ちた雛が他の生物に補食されるとしても、それは生物達の生存サイクルの一環であり、人為的に変更することは許されない側面があります。
 妻もそのことは意識しているようで、道の真ん中にうずくまっている雛をみつけた時、わかっていながらも放っておくことができなかったということです。一度は通り過ぎようとしましたが、また引き返し、悩みながら雛を持ち帰ったということでした。僕も同じ行動をすると思います。

 さらに、雛の命をつなぐために昆虫を捕って殺すことは良いのか?という問題もついて回ります。突き詰めると、先の行動の延長線上で、鳥の命を絶つことはだめで虫ならば良いのか、ということになります。
 そんなことを考えていると、他の命をもらいながら維持している我々の命とは何かというところに行き着きます。それはすなわち、他の命(とりわけ非補食生物)と当事者の命の違いは何か、ということでもあります。

 これらについて、僕は明確な答えを出せないでいます。
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by senang | 2007-06-28 15:51 | 【2】環境との対話
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