経済学者・人口学者のロジック
 経済学者や人口学者のロジックに辟易しているところです。こう書くと、全ての経済学者や人口学者が悪いように聞こえるかもしれませんので、僕が最近接点を持った方々というように限定させていただきます。

 それで、何に辟易しているかというと、簡単に言えば既存の枠組みや専門分野の範疇でしか将来を見通していないということです。もう1つ付け加えるならば、実践がなくて発言に現実感が伴っていないということもあります。

 数日前、とある人口学者がいきなりやって来て、押し問答のようなやり取りを繰り広げました。国の人口予測にも関わったというその方は、里山や限界集落を守ることのコストと効果を考えた時、大いに疑問があるということを切り出しました。
 僕自身、集落という枠組みを守ることを積極的にとらえてはいません。それよりも、これからの世界的な資源枯渇を目前にし、環境容量の限界が見えていることを重視した対応を考える必要があると思っています。さらに、日本の自給率の低さを考慮した時、里山の食糧・エネルギー生産能力を再評価して、これらを最大限に引き出さなければならないと考えています。

 そう述べた事柄に対して、人口学者は「それは従前の農政の存在意義を示す建前であり、日本の農山村に食糧生産能力はないのが実態だ」と述べました。
 確かに現状を見ればそのとおりです。しかし、それは里山に住む人たちが好んで進めてきた路線ではなく、日本が経済大国を目指してきたことの表れです。そして、このままでは国の先がないことは明白であるため、思い切った政策によって自給国家へシフトすることが重要です。

 人口学者との話はずっと平行線をたどりました。僕は、現状を抜本的に見直して国内自給率を上げることに全力を尽くすべきだという話の文脈において、資源を最大限に活用するために社会的コストを投入する必要があると述べました。しかし、人口学者はその理屈は成り立たないと言います。彼は、里山の少ない人数の生活を確保することに大きなお金をかけるくらいなら、利便性の高い都市部に住宅を建てて移住してもらった方が、社会的に良いお金の使い方ができるということを主張します。さらに、食糧やエネルギー供給は、平和と協調に基づいて国際的連携を模索すべきであって、そもそも国内だけで考える必要はないということも力説していました。そして、世界的な環境容量としては、人口を百数十億人まで扶養できるらしい(!)です。

 個人的には、国際関係を念頭に置いた政治や経済が信用ならないうえに、最近は環境問題が急激に問題視されるようになっているのに、他力本願で悠長なことを言っているなぁと感じました。時間が惜しいので、人口学者さんには早々にお帰りいただきました。
 それでも、異論を唱えていただける方との話には自分の考え方を見直すきっかけもあるので、良い勉強になりました。
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by senang | 2007-06-14 18:36 | 【2】自給について
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