脱・集落&新たなコミュニティ創出 その3
 その1 その2 その4

【その3 これまでの100年とこれからの100年は違うものになる】

 最近は田舎へのIターン者が増えています。僕のように集落に住みついた者の中には、暗黙のうちに進められる超ローカルルールを懸命に学び、「これまでこうだったから」というしきたりに疑問を呈しながらも黙って受け入れて定着していることが多いようです。逆に、近所づきあいがうまくできない人や繊細な人は、つきあい方がわからずにノイローゼ気味になったり、その挙げ句、数年で出て行ってしまったりという話も頻繁に耳にします。



 集落の意思決定方法や物事の進め方は固定化されています。特に、世帯や人数が少なく高齢化した集落では、固定化された方法を変えることは並大抵のことではないでしょう。しかし、資源の保全と利用のルールが無効化しているにもかかわらず、その体質を踏襲する必然性はありません。既存のやり方に馴染めない人を、「集落に溶け込めない奴は来るな」と一蹴してしまってよいとも思えません。

 高度経済成長期を含む前の100年と、これから我々が歩む100年は、状況が大きく異なります。これまでの日本は、食糧やエネルギーをお金で買う消費社会でした。しかし、それはもう終わりを迎えつつあります。消費社会を脱却し、食糧やエネルギーを自前で生産する自給社会をつくっていくことが早急に必要です。これからの100年間は、そんな社会づくりへ向けて全力を挙げるべきでしょう。
 自給社会とは、自国の資源を守りながら利用する暮らしを組み立てることだと考えています。それは、資源の上限を認識し、その範囲内で生きるということです。かつて集落で行われてきたことに他なりません。しかし今では、集落における資源の保全と利用のルールは無効化しています。
 そこで、資源を有効利用したいと考えている「新参者」にチャンスを与えることも必要だと感じます。ただし、新参者が野放図に資源を収奪してはいけませんので、それなりの規制ルールも必要になることでしょう。

 資源の保全と利用のための新たなルールづくりは、集落のルールを踏襲すればよいというものではないと思います。また、情報や技術が進展してきた現代にあっては、集落という地縁コミュニティのみに資源管理を委ねなければならないということはありません。
 資源の保全と利用のための新たなルールづくりとは、コミュニティ・レベルを入れ替えたり、複層化させたりすることでもあります。集落という地縁コミュニティだけではなく、国レベルの視点で自給を考える集団や、資源の適正利用を行う集団といった目的縁コミュニティを創出することによって、多様な手法や選択肢を用意することなどはその1つでしょう。
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by senang | 2007-04-10 14:03 | 【2】コミュニティ
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