便利時代 その1
 100年前、いえ、50年前に比べて、日本は便利になったと思います。ポンとスイッチを押せば熱いお湯が出てきて、店が増えてあらゆる食べ物を買うことができるようになりました。コンビニエンスストアはその象徴ですね。

 そういえば、僕が住んでいる町は、島根県内では唯一コンビニのない町だったのですが、現在国道沿いに建設が進められています。コンビニができるにあたり、同世代の者と「コンビニがない町という路線も考えてみたら面白いんじゃないか?」と話したのですが、「いやいや、若者にとってはそうじゃない」と一蹴されました。この言葉には、便利さを求めているということが明確に表れていますし、高校生に対するアンケート調査でも、最もほしいものの1つにコンビニが挙げられていました。
 逆に、「コンビニなんかいらん」という声も、少数ながら耳にします。ただしそれは、便利になることのみを否定した意見ではなく、大量消費(浪費)の申し子であるコンビニに対するアンチテーゼが主な要因ととらえた方が良いでしょう。

 ところで、便利であるということは、どういうことなのか?

 便利になったということは、生活にかかる時間が短縮されたという解釈ができます。湯沸かしを例に取ると、かつてはお湯を使うにも火を熾し、風呂を沸かすにも薪を焚いていました。これが湯沸かし器の登場で、手間と時間を数十分の一に短縮することができました。その結果、湯沸かしに充てていた時間を他のことに使えるようになったわけです。勿論、湯沸かしだけではなく、炊飯、洗濯、暖房、買い物などにかかる時間を考えると、かつての生活に比べると自由な時間が圧倒的に増えたということになります。
 昔は家族の人数が多く、それぞれが家の中で役割分担をしながら生活が成り立っていました。見方を変えると、家族同士が役割分担をしなければ生活に支障があり、だからこそ一定数の家族が同居していることが必須だったということになります。
 これに対して、最近は便利になって生活に要する時間が短縮されたことにより、家族の分業形態が良くも悪くも解消されました。おばあちゃんかお母さんが1人がいれば、家族全員の世話をすることが可能になったわけです。あるいは、家族みんなが仕事や学校や遊びに行って夜になって帰ってきても、大した支度なくご飯にありつけ、テレビを見て団欒をすることができます。一人暮らしで夜遅く帰ってきても大丈夫。

 生活が便利になったことにより、生活以外に費やす時間が増え、生活以外の分野が大いに進展する可能性が生まれました。これによって確かに社会や経済は成長しました。しかし、それで日本は良い国になったのでしょうか?
 便利になることは、当然ながら悪いことではありません。ただし、便利になって時間的な余裕ができた反面、それを有効に使ってこなかったことについて、少し省みる必要があるのではないかと感じます。
[PR]
by senang | 2006-10-06 12:13 | 【1】持続的な生き方
<< 便利時代 その2 第三次世界大戦 >>