先日、友人と夕食を食べていた時、外灯の明かりにオスのミヤマクワガタがやってきました。その友人、少年時代は昆虫少年だったらしく、クワガタを手にしながら立派なハサミや目の上にある突起に見とれていました。そして一言。
「これはまさに芸術品だね。進化の完成型かもしれない。」
この言葉を少し補足すると、今、地球上にいる生物の全てが進化の完成型であり、途中型であるということになります。
進化の完成型という見方をすれば、環境に合わせて最良の形態を完成させたということが言えます。その「最良」とは、淘汰に勝つために最も適した形であると言い換えることもできます。淘汰に勝つことができているからこそ、今生きていられるということにもなります。
ワニやシーラカンスは、太古の昔から姿がほとんど変わっていないと言われています。それは、旧式であるというわけではなく、彼らが住んでいる環境において、最適な形をしていたから変化(進化)する必要がなかったということではないかと思います。つまり、完成型であるという見方をすることもできます。
進化の途中型という意味では、今の形態がこれで固定されるものではないということです。つまり、これから先に環境が変われば、それに応じて形も変わっていくでしょう。例えば、今は淘汰に勝つために最良の形をしている者であっても、気候や植生、そこに住む他の生物との力関係などによって、一転して弱い立場になってしまうということも十分にあり得ます。
外灯の下には、ミヤマクワガタの後でカブトムシのオスもやってきました。しかし、これが驚くほど小さかった…。単純に考えると、体力面では他のオスに負けてしまい、子孫を残すことができないのではないかといらぬ心配をしてしまいます。しかし、友人が言うことには、他の力強いオスがメスと交尾をしている時、小さいオスは目立たないように近くで待っていて、前のオスの交尾が終わった後で交尾に行くのだとか。確かに、その方が効率的であり、争いを避けることができます。さらに、そのような繁殖方法をとる限りにおいては、小回りのきく小さい身体の方が有利なのかもしれません。なので、小さなカブトムシは劣性個体ではなく、なるべくして小さくなったということです。
地球上の生物について、「進化に究極型はない」ということが言えるのかもしれません。別の表現をするならば、「環境が変化し続ける限り、生物には絶対的な完成型が存在しない」ということになります。
地球は常に動いています。そして、地球上の生物における進化とは、その変化に対する柔軟で潜在的な対応力であると言えます。