21世紀によみがえらせたい「縄文の自然観」
 太陽エネルギーとそこから生まれるバイオマスは、持続的に再生産されるものであると言えます。しかし、無尽蔵にあるものではなく、生物の成長の量とスピードに応じて生産の上限(環境容量)が決まっています。これからの時代、ここに着目して、エネルギーや食糧の維持を考えていくことが重要になると思います。
 我々は、バイオマスの活用を全く新たなものとしてつくりあげる必要はないのかもしれません。なぜなら、日本人はかつて自然や生態系の中で持続的な生き方を実践していたからです。環境との対話の中で、どこまで自然に頼っても良いのか、何をどれだけ収奪して良いのか、さらに、環境の維持のために何をすれば良いのかを知っていました。
 ただし、今の暮らしはこのことを忘れ去り、自然とのつながりを断って生活しているため、改めて強調しなければならない時代になっています。

 日本の地で、縄文人とその後に台頭してきた弥生人。かなり大雑把な括り方をすると、縄文人=狩猟採取民族、弥生人=農耕民族という形で対比されてきました。この分け方は間違ってはいないと思いますが、厳密には、環境容量を熟知してそれに従って生きてきたのが縄文人、安定して食糧を得るために農耕という手段で自然を加工・管理してきたのが弥生人、と解釈することができます。それぞれの生き方は、自然との関わり方が異なるだけではなく、精神部分でも大きな差異があったと推測できます。

 バイオマスの利用を考えると、エネルギーや食糧を生産するために農地や林地を造成する必要があります。これだけを切り取ってみると、自然を加工・管理する弥生的行為であると言えるかもしれません。しかし、加工・管理の技術力を上げることに心血を注いだ結果、環境を破壊することになっては元も子もありません(実際、現在の農林業はその方向に作用しているものもありますが…)。
 持続的な利用を考えるのであれば、環境との共存を保つこと、すなわち、エネルギーや食糧を収穫する以前に環境全体を維持していかなければならないことは明白です。これは、縄文的発想であると言えるでしょう。

 バイオマスの利用だけではなく、「縄文の自然観」に基づいてあらゆる社会観や人生観を再構築すること。それは、21世紀の世に大幅な価値観の転換を行い、持続的な生き方を考えるためのキーワードになると考えています。
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by senang | 2006-05-13 23:56 | 【1】持続的な生き方
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