生物の美しさと淘汰の関係
 時として、生物が繰り出す行動があまりにも巧みなので驚かされます。時として、生物の形状や色、異種間で織りなす生存の妙に感嘆させられます。それを目の当たりにして、我々人間は美しいと思うことも多くあります。

 生物の行動や形や色は、それなりの理由があるから生じる「現象」なのだと思います。それに特定の目的があるのかという問いには明確な答えが出せません。例えば、「色とりどりの花が咲くのは昆虫が寄ってきやすいから」という理由があっても、「○○のために色とりどりの花を咲かせている」というように個体が主観的な目的意識を持っているとは設定しにくいというわけです。

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 ここで、「生物には目的がある」という見方を排除してみましょう。

 生物は生き延びるために数多くのトライ・アンド・エラーを繰り返し、その時々で最善の選択肢が積み重なった結果が現在の姿であると考えてみます。現在の姿に至った影の部分として、生き延びるにはあまり良くない選択をしたために形勢が悪くなったり、場合によっては滅んでしまったりということがあったのかもしれません。現存している生物は、そんな淘汰を経ながら現在にたどり着いたと考えることもできます。特に、環境に対応するために何十種類もの形態変化を試してみて、ヒットしたのはわずかに数例ということもあったでしょう。何万個もの卵を産んで、成体になるのは数%という魚もいます。確立論的に言えば、淘汰に際して講じたトライの結果は、サクセスよりエラーの方が多かったと予想できます。

 言い換えれば、現在生き残っている種の背後には、その何百倍や何千倍にものぼる大量の絶滅があったこということになります。

 生物の形、色、行動などは、数多くの絶滅と引き替えに、生き残りのための試行錯誤が集大成されたものだと思います。だからこそ、洗練されていて、反面では無駄もあったりして、不可思議なところもあり、非道な一面もあるというわけです。そして、我々人間が生物に心を惹かれるのも、生き残ってきた力強さ、緻密さ、無情さを感じ取っているからだと思います。

 生物を擬人化するのではなく、人間臭さを投影するのでもなく、目的を投げかけるのでもなく、本来の姿を見つめる感性を持つこと。それは、今の世の中だからこそ必要なものだと感じています。
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by senang | 2006-05-09 23:56 | 【1】地球のリズム
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