限界を認識する
 あらゆる点で現代社会に限界が訪れていると感じていることはありませんか?燃料(エネルギー)、食糧、社会的価値観・・・。100年後の世界について考える前に、今の状況の位置づけをハッキリさせておく必要があります。つまりそれは、今の暮らしがあと何年続くのか、その結果として何が起こるのか、ということです。

物質的(物理的)限界
 地球上の生命体が生きていくためには、地球の物質を利用しています。中でも最も多く物質を利用している人間に絞って考えてみましょう。
 エネルギー源の多くは、石油などの化石燃料です。常に埋蔵量が取り沙汰されているように、これは掘り尽くしてしまえばなくなってしまいます。新たな油田を発見したなどのニュースに湧くことがあるかもしれませんが、いずれにしても「有限の資源」です。
 世界の人口はどんどん増え続けています。その結果、より多くの食糧やエネルギーを必要とします。食糧について考えると、生産する場所=農地が必要になります。陸地は地球上の約3割で、そのうち耕作可能な面積となるとさらに限られてしまいます。最大でどれくらいの農地が確保できるのかは知りませんが、これも「有限の資源」というわけです。現在のペースで人口が増え続けると、農地が不足してしまうことは明白です。
 同様に、水も限られた資源です。水は流れて溜まって蒸散しながら地球上を循環しているわけですが、人間が利用できるのは地球上の水の約0.8%。人口増加などで水需要が高まれば、これも不足していくことになります。
 以上、化石燃料、農地(土地)、水を例にとって、物理的限界を示しました。このうち、化石燃料は再生不可能ですが、水と土地は使い方次第で永続的に利用することが可能です。

人間の意識の限界
 地球上の資源が有限であることは誰もが認識しているでしょう。それを具体的な数値で示すことはできなくても、直感的に限界を感じ取っていると思います。
 しかし、今の状況を考えた時の最大の問題は、資源に限界があるということではありません。資源の限界をわかっていながら何もしないということの方が、本質的な問題ではないでしょうか。個々人も含めた現代社会には、「先が見通せない」のではなく、「先を見通さない」体質があるということを指摘しておきます。
 また別の角度から考えると、資源が限界に達していなくても、人間は資源の分配を行う知恵に欠けているところがあります。例えば、農地が上限に達していなくても既に飢餓は発生していますし、全世界的にそれを解消しようとする以前に、自国の利益、民族の優位性が大義名分として働きます。
 つまるところ、人間はせいぜい数年先という時間的広がり、1つの国程度に相当する空間的広がりの中でしか物事を考えられないのかもしれません。
 こんな状況で100年先を見通すことができるのかどうか?100年先を見通すことのできる人が果たして何人いるのか?そんな気持ちになってしまいます。

「持続的な生き方」とは?
 物質的限界から見えてくる必要な取り組みは、まず、化石燃料を使わないエネルギーを生み出すことです。いきなり石油のない生活に切り替えることはできませんので、現在のペースをダウンさせながら、新しいエネルギー源を模索する必要があります。これについては、太陽エネルギーに期待しています。中でも、バイオマスエネルギーには大きな期待を寄せているところです。バイオマスエネルギーも光合成によって物質化した資源が元になっているので、間接的な太陽エネルギーであると位置づけることができます。
 次に、地球の資源的上限の中で収奪し尽くさない生き方を組み立てること。つまり、既存の土地や水の限界の中で生きられる人口を維持しなければなりません。「成長型社会」ではなく、「安定型社会」をつくることになります。そのためには、世界の人口を適正規模に抑えることが必要になります。

 でも本当は、持続的な生き方を考えるにあたっては、「先を見通さない」という性質を持った人間の意識が最も大きな障壁なのかもしれません。本当の意味で100年先の世界、持続的な生き方を考えることができるのは、個人的にはかなり少数であると感じています。

 限界を認識し、「どうすればよいのか?」を考える用意のある人。100年後に生き残っていられるのは、そのような数少ない人だと思います。
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by senang | 2006-05-08 11:35 | 【1】持続的な生き方
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