過疎問題をめぐるズレ -前提としている時間と空間の違い-
 日本の農山村の場合、次のことは明らかです。
  ■過疎は止まらない。
  ■世界的に人口過剰である。
  ■よって、人口を増やすより、少ない人口で持続的な社会を目指すべき。
  ■都市化(工業化)の論理では、そうすることは不可能である。
  ■そもそも、現在の都市化(工業化)を成長させればさせるほど危機である。

 昨日もまちづくり関係のシポジウムがあり、このようなことを述べさせていただきました。同席のとある大学の先生も同じ論調であったため、2人して「人口増やせ論」から軌道修正しようということを提言した形になります。
 これに対して、終盤に聴衆からの反論があり、「色々やったが過疎は止まらなかった。でも、それなりに頑張ってきたんだから、そんなことを言われるのは心外だ!」と声を荒げていらっしゃいました。良いか悪いかは別として、これが今の農山村の一般的な考え方だと思います。
 個人的には、その努力を否定しませんし、これまでの頑張りを称えたいと思います。その一方で、話がかみ合わないという実態を少し丁寧に見ていく必要があると感じました。

 このズレは、物事を考える際に設定した時間と空間の違いに端を発すると思います。例えば、1960年代から現在までの約40年間について農山村の現状を考えた場合、人は減り、里山の価値はなくなり、地域の元気がどんどんなくなっていきました。そんな“危機的な”状況を目の当たりにして、意識ある人は何とかしようという必死になって行動してきたことでしょう。これが農山村のごく一般的な状況です。一方、過去数百年にわたって日本あるいは世界という空間を設定して考えると、爆発的に人口が増えたのはlここ100年間のことであり、歴史的にも異常であったと言えます。そして、世界で人口が右肩上がりで増えている中、人が減っているのは(安定化に最も近いのは)日本の農山村です。
 問題は、時間と空間の設定の違いであり、お互いに共通の設定をしていなければ話がかみ合わないのは当然ですね。まずはその作業がとても重要だと感じました。

 シンポジウムでは時間がなかったので、反論に対して十分なリアクションができませんでした。それでも、このように反論していただけるという点に将来性を感じたところです。何も感じずに座っている人の方が大勢を占めている中、少なくとも自分のビジョンを持ち、行動する気概があるわけですから。
 時間設定と空間設定を同じにすることが必要ですが、農山村ではお年を召した人、外へ出たことのない人が多い実態からすると、ものの見方や考え方が固定化されてしまっていることが大きな障壁になりそうです...。
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by senang | 2006-02-13 10:10 | 【0】センシブルワールド
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