ボランティアで里山に関わる意義
 少し前、森林保全のために間伐を行う「緑の十字軍」や「草刈り十字軍」というものがありました。これらは基本的に、意識のある市民がボランティアで参加するというものです。環境意識が高まり、森林作業や里山保全に意識のある市民が注目し、実際に行動を起こしています。今では何百という森林や里山関係のボランティアグループが存在しています。さらに昨今では、子どもの居場所づくりや自然体験という視点から、新たな働きかけが行われています。
 森林や環境の分野を受け持つ行政サイドも、このようなボランティアの動きを重視し、推進する事業や情報の集約・発信を行っています。日本型グリーンツーリズムがこれに呼応する形で興り、観光的側面も含みながら多様化してきてもいます。

 ボランティア、それなりにいいんじゃないでしょうか。意識の高い市民の増加は良いことです。しかし、ボランティアによる里山保全については、「何かが違う」という感じがしてなりません。その原因をちょっと考えてみました。

 まずはボランティアというものの考え方を整理します。ズバリと核心を突いているCAINさんの記事がありますので、僕が下手な理屈をこねるより、まずはこちらをご覧ください。
「。*・。ボランティア。・*。」cAiN─casting around inviolate nature─より

 それでは、ボランティアで森林保全や里山保全をする意味は何なのでしょう?ボランティアを広く解釈したところで根本的には自分のために行う行為であるならば、他者の山を管理することが自分にとって何らかのメリットをもたらしているということになるわけです。例えば、日頃から木のないところで暮らす人にとって、週末に自然の中で汗を流すことが健康的だとか、山作業がこのうえなく楽しくてたまらない趣味であるとか、作業した後にいただくおにぎりが美味しいとか。
 勿論、それは否定されるものではありませんし、社会に役立つことをしているわけですから、ゴルフやパチンコに行くより何百倍も有益だと思います。
 そのうえで、敢えて個人的な意見として述べさせていただきます。森林保全や里山保全は、余暇活動の一環のようなボランティアのみで継続させることは難しいと思います。森林や里山を趣味や癒しや自己実現のためのフィールドとして評価することには無理があります。いくら「市民」(日本にはそもそもcitizenが存在するのかという疑問もありますが)の環境意識が高まったからといって、山作業の労働力としてボランティアを重視する行政はもってのほかと言えるでしょう。
 本来的な森林保全や里山保全は、経済性が伴っていてはじめて活きてきます。経済と言っても、森林や里山はお金を稼ぐ資本という単純なものではないので、「生きる糧」と表現した方がより正確ですね。あるいは、生活の一部(または全部)を賄うものと位置づけてもよいと思います。わかりやすく言えば、山で収益を得ること、エネルギーを得ること(バイオマス発電など)、食糧や生活資材を得ること(焼畑、アグロフォレストリー、林業など)といったものにつながっていかなければ、いくら手入れをしても「何のためにやってるの?」ということになってしまいます。里山環境は使って維持するという趣旨のことを以前の記事で述べましたが、それはまさにこういうことを意味しています。
 山作業は楽しいだけではありません。危ないこともあります。肉体的に大きな負担がかかります。ヘビもいますし、スズメバチの襲撃にも遭います。生き物を相手にしようとすれば、「今日はかったるいから休もう」と言ってられないこともあります。なので、本気でやるのなら、自分の意に反する(ボランティアだけでは包摂しきれない)行程も発生します。
 「こならの丘」の管理がボランディアで難しかったというのは、経過を読む限り、金銭的な問題でもなく、マンパワーの不足でもなく、目的の認識が曖昧で、そのうえに手段も十分に構築されていなかったということが本質ではないかと感じました(下記参照)。

 参考文献とした「里山の環境学」からの引用を下記に挙げています。この本は、様々な角度から里山を論じていてとても勉強になるのですが、里山林の管理主体としてボランティアに何を期待しているのかわからない以上に、そもそも里山を何のために管理するのかという目的の設定がちょっと甘いかなぁと感じました。自然・文化遺産の保全と位置づけられていては、博物館と同じじゃないかと・・・。
 里山は決して博物館などではなく、本来は生態系の命のせめぎ合いの場であり、生活の場であり、持続可能を原理とする安定・安心を保障する場であるわけです。常に生きています。動いています。これにボランティアという手段で関わるとしても、ある程度の腹をくくり、真剣さが要求される局面も多くあることを認識しなければなりません。



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竹内和彦・鷲谷いづみ・恒川篤史編「里山の環境学」東京大学出版会

 ボランティア活動は、自由な市民の力が結集し、多くの目的のもとに自主的な活動を展開するものである。したがって、グループ形成は市民の独自性にゆだねるべきであるが、実際にはグループ結成時の地域住民の募集、森林所有者との調整といった渉外のほか、初期のノコギリやナタ、チェーンソーや刈払機などの機器の購入費、以後の機器の保守や修理費、けがや事故に対するボランティア保険、活動内容の情報発信などで活動資金が必要になってくる。
 国や地方自治体では、こうした市民のボランティア活動による森林保全活動を重視し、1990年代になって多くの自治体が住民参加型の保全活動事業と支援を行うようになっている。
(中川重年;129ページ)

 市民参加型の運動の重要な視点のひとつは、整備された里山を地域の共通の自然・文化遺産(ヘリテージ)として位置づけることである。もともと里山林は歴史的にも公共性を備えていた。また、その樹林単独で存続しているわけではなく、周辺の森林や田・畑などの緑地との関連で存在していたからである。
(中川重年;130~131ページ)

 10年の管理経緯を経た「こならの丘」を顧みてわかってきたのは、ボランティアによる順応的な植生管理というものは難しいということである。順応的管理を機能させるためには、マンパワーと管理規模のバランスを見極めることや、植生管理本来の目的とそれを達成するために必要な具体的な作業のつながりを、明確にすることが必要だ、ということである。
(倉本宣・麻生嘉;149ページ)

 里山林の管理に参加している市民ボランティアの人数は、活動の中身や管理の対象にもよるので、厳密にはとらえがたいが、多めに見積もっても全国で2万人程度であろう。
(恒川篤史; 211ページ)

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by senang | 2006-02-09 23:37 | 【0】センシブルワールド
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