日本の森林は使うことによって守られてきた
 利用と持続の関係が割り箸から見えてきたと感じています。割り箸論争は十数年前に激化し、一応の決着を見たと思っていましたが、それは国内での話だったみたいですね。現在の中国産が9割を占めている実態は、持続性を問いかける新たなきっかけになっています。少しくらいコストがかかっても、食べるものや日頃使うものは地元産(国内産)にしようという運動を提起してもよい時期なのかもしれません。安さが最優先される消費社会は終わりを迎えつつあります。

 さて、割り箸から森林に話を移しましょう。手つかずの原生林が地球上にどれくらいあるのでしょう?厳密な測定は難しいのかもしれませんが、十数億haという説があります。それにしても、歴史上人跡未踏であったかどうかを検証する術はありません。
 ここで問題にしたいのは、人と森林との関わり方です。一昔前から、「緑を守ろう」といった類のスローガンを目に耳にします。緑を守るということは絶対に人の手が加わってはいけないのか、あるいは、人間による森林への働きかけが即破壊ということなのか、ということを考えてみたいと思います。

 ヒントとして、「持続可能」という概念を元にしてみましょう。

 僕は、「人間の関与=即破壊」ではないと考えています。仮に、農耕、林木の利用、有益な生物の採取などの行為が森林に及んでも、収奪したものの再生や回復が半永久的に保障されるのであれば、破壊ではありません。むしろ、人間の働きかけがあるからこそ、山は山として、田畑は田畑として、川は川としてあり続けていることもあります。そして、そこには土着の文化が息づいています。
 逆に、人間の働きかけの結果、森林であること、田畑であること、川であることを破壊してしまうケースも多く見られます。大規模な木材伐採と焼畑は、アマゾンや東南アジアで今でも行われていますし、ヨーロッパではかつて木材飢饉が起こるほど木を伐りつくしてしまい、一面がハゲ山と化しました。これらは到底「持続可能」ではありません。

 原生林を手つかずのまま守ることに心血を注ぐのも良いのですが、人間の関わりによって森林が森林として維持されている実態を見直すことも必要だと思います。特に日本の森林の場合、旧石器時代以降に人間の関与を受け続けており、人跡未踏の地はないに等しいわけです。それでも、国土の大部分が森林で覆われており、森林資源が枯渇している国ではなく、むしろ森林国なわけです。
 もっとも、戦後大々的に進められたスギ・ヒノキの造林は、必ずしも「持続可能」ではありません。そして、その結果として土壌浸食や災害を引き起こしているどころか、自国の森林に手をつけずに木材のほとんどを輸入している現状については、大きな見直しを迫らなければならないでしょう(下の写真は雪害後に間伐を行ったスギ林)。

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 人間の関与を受けながら存続してきた里山地帯には、森林の保続的利用のノウハウ、越えてはならない上限(環境容量)に対する掟、それを感じ取って自己規制を行う節度が息づいていました。それらをもっと評価してもよいと思います。



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竹内和彦・鷲谷いづみ・恒川篤史編「里山の環境学」東京大学出版会

 今日私たちが目にすることのできる自然は、長い年月をかけた人間と自然の営為との合作である。ごく一部の例外的な場所を除き、地球上の自然は人間の旧石器時代以来の活動になにがしかの影響を受けており、「原生的な自然」とされる場所においても人の痕跡を見出すことができる。
(鷲谷いづみ;10ページ)

 近年は樹林であり続ける場所を里山と呼び、とかく樹林としての里山の保全ばかりが注目される傾向にある。しかし、里山の保全のためには、それがつねにダイナミックな変容を遂げてきた空間であるとの認識のもとに、とくに減少が著しい草地や柴地の保全をも含めて考える必要があろう。そうすることではじめて、多様な生物相も含めた里山の真のアイデンティティは維持されるといえる。
(横張真・栗田英治;82ページ)

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Richard G. Wilkinson著「経済発展の生態学 -貧困と進歩-」筑摩書房

 「木材飢饉」は、純粋に生態系への影響の結果であった。人口増加とその結果生じた経済体系の拡大は森林を耕地に変え、同時に木材に対する需要の拡大を生んだのである。木材不足はしだいに激しくなり、工業用にこれを利用するものも、家庭用にこれを利用するものもともに深刻な困難におちいった。(略)そしてこの不足はきわめて深刻であり、ロンドンのみならず、すべての港町や内陸の多くの場所で、庶民はニューカルス産石炭、あるいはその地方で採掘された石炭を燃料とせざるをえなくなっているし、貴族の家庭ですらそうである。そして、すべての発明の源がそうであるように、必要にせまられて彼らは最近になって石炭を用いて製鉄をし、あらゆる種類のガラスを製造し、煉瓦を製造する方法を発明したのである。
(148~149ページ)

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by senang | 2006-02-04 15:01 | 【0】センシブルワールド
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