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危機を乗り切った江戸時代
 人類が生き残り、地球が持続的な状態であり続けるためには、20世紀的な成長をやめて安定化を指向する必要があります。成長と安定を象徴しているものが人口であり、人口の増加、増加抑止、安定について記述された文献も多く存在します。

 日本の江戸時代は人口がほぼ横ばいであったこと、今になって当時の社会を見直そうという動きがあることなどから、安定した社会と見ることができるでしょう。またある本では、崩壊せずに生き残りに成功した社会としての評価もなされているところです。
 江戸時代の安定がどのようにもたらされたのかについては、検証と議論の余地があると思います。個人的に興味深い点は、それが痛みや不満を抱え込んだ権力者による抑圧だったのか、自制的・自主的な制約によるものだったのか、という点です。

 これから安定化社会を目指す場合、できれば自制的・自主的な制約による方法であってほしいと願っています。しかし、そのためには多くの人の間で高い意識レベルの共有が必要であり、そのハードルは高いと考えざるを得ません。
 江戸時代の安定が抑圧のみによるものではなく、日本人の精神性による自制が少しでも見られるのなら、そこにわずかな望みを探してみたいと思います。



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Richard G. Wilkinson著「経済発展の生態学 -貧困と進歩-」筑摩書房

 日本の人口は17世紀と18世紀初頭に増加し、マルサス的な危機の水準に達してしまった。極端な貧困が生れ、飢饉、疫病の多発、きわめて広範に行われた間引、堕胎の影響のもとに、人口数は横ばい状態となった。農民が堕胎、間引を行うのを防ごうとする幕府および封建領主の試みにもかかわらず、土屋喬雄によれば、これらはもっとも重要な人口抑止の手段であった。堕胎、間引にかんする当時の言及は枚挙にいとまがないほどである。
(109ページ)

 彼(ロックウッド)は次のように言っている。すなわち、「職業、企業の自由に対して、また旅と交易に対して厳密な規制を行うことによって、徳川幕府は、国家の封建農業的基盤を堀り崩しそうなどんな新しい諸力の成長でも、それを抑えつけようとした」のである。徳川幕府が課した重い貢租と人口抑止に対する態度を考えると、幕府が変化の諸力の成長を抑えつけた、ということにはわれわれは同意しかねる。実際に起こったことはこれらの諸力が成長するにつれて、日本の支配階級の締めつけの強化によってしか変化は防ぎえなかったということである。しかしながら、1868年の幕府の崩壊と天皇の復位以後、日本の「近代化」はロックウッドもいうように、「堰を切ったように」進展した。「それは、長い間たまっていた諸力を解き放ったために、それだけ激しかった。」
(110~111ページ)

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by senang | 2006-01-31 20:34 | 【0】センシブルワールド
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