新・進化論 2 細分化(分業化)の末路
 進化は環境への適応。その法則の1つが細分化であると言えます。生物は環境の差異に合わせて生活方法や形状を多様化させ、分化していきます。そして、分化は新しい種を生みます。
 例えば、ギフチョウはカンアオイしか食べません。しかも、カンアオイなら何でも良いというわけではなく、亜種も含めて生息場所に生えている1種類のものしか食べません。カンアオイ科の植物は拡散して増えることがとても苦手ですので、ギフチョウはきわめて脆い存立基盤の上で生きているということになります。

 人間も細分化しています。特に注目したいのは、生理機能的にではなく社会的に細分化しているという点です。それは分業化とも表現できます。
 例えば、生涯にわたって靴をつくり続けている人がいます。もっと突き詰めると、靴底や靴ひもなどのパーツをつくることだけを仕事としている人がいます。靴を売るだけの人もいます。ほとんどの民族にとって、靴は生活になくてはならないものですが、生活は靴だけで成り立っていません。でも、朝から晩まで靴をつくって生きている人がいるわけです。それで生きていけるわけですし、そうしないと生きていけないとも言えます。
 それぞれに専門分野があり、そこでできた「分業の成果」を持ち寄って大きな社会が成り立っています。多くの現代人が、分業化の一端となって生活しています。

 ところで、分業化によって与えられた仕事をこなすことに忙しすぎて、自分の守備範囲しか考えられなくなったらどうなるでしょう。何のために・どうやって・どんな靴底をつくるのかという意思がそがれれば、何とも履き心地の悪い靴ができあがってしまいます。これはあらゆることに共通しています。例えば、国民のために・国民の声を聞き・夢のある社会をつくるという意思があったとしても、それを考えて実行するはずの政治システムが分業化されて全体視できなくなっていれば、分業のナワバリを保持することに傾注してしまうことも不思議ではありません。
 現代社会は、往々にしてそのような方向に動いてきているのではないでしょうか。そして、細分化あるいは分業化の一層の進展は、社会的機能不全を引き起こしてしまうのかもしれません。

 もしも進化の末路がそのように仕組まれているのなら、(発生から消滅までの期間の長さに差はあるにせよ)生物の絶滅や社会の崩壊は最初からわかりきったことだったのかもしれません。それは種や文明としての寿命だと解釈することもできるでしょう。
 あくまでも仮説に過ぎませんが、「細分化=絶滅」というベクトルがあるとすれば、多様化の進行は危険サインなのかもしれません。今の社会、良くも悪くも色々な人がいるということをどう意味づけますか?
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by senang | 2006-01-27 00:39 | 【0】センシブルワールド
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