里山の定義 -「農用林」としての里山、里地との区分-
 里山について理屈のうえでの勉強を進めています。現在の里山を端的に表している記述を見つけましたので紹介させていただきます。

竹内和彦・鷲谷いづみ・恒川篤史編「里山の環境学」東京大学出版会 より
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 里山は、すでに社会に広く知られた言葉であり、身近な自然に関心をもつ人々が、守るべき自然のシンボルとして使ってきた。しかし里山は、草の根的に使われてきた言葉であるために、その解釈が地域や人々によって異なり、科学的な考察を行う際に混乱が生じるという問題があった。そこで本書では、「里山」を人里近くに存在する二次林や二次草地に限定し、その周囲にある農地、集落、水辺などとあわせた二次自然地域を「里地」と呼ぶことにした。
(武内和彦;はじめに)

 この言葉は、古くは1759(宝暦9)年、木曾材木奉行補佐格の寺町兵右衛門が筆記した『木曾山雑話』に「村里家居近き山をさして里山と申し候」と記されている(所、1980)。しかし、里山という言葉を現代社会に蘇らせたのは、森林生態学者の四手井綱英であり、それは1960年代前半のことであった。彼は、後にこう述べている。「この語はただ山里を逆にしただけで、村里に近い山と言う意味として、誰にでも解るだろう。そんな考えから、林学でよく用いる『農用林』を『里山』と呼ぼうと提案した」(四手井、2000)、
(略)
 一方、住宅地開発によって郊外に居住を始めた市民が、ボランティアとして樹林や水田の管理にのりだした。市民の里山に対する関心が高まるにつれて、里山という言葉は驚くべき勢いで日本全国に広がっていった。その過程で、里山は、当初の厳密な定義を離れて、二次林などが残る伝統的な農村景観を彷彿とさせる一般用語として、社会に定着したのである。
(略)
 問題は、農地、集落といった土地利用をも含めて里山と呼ぶかどうかである。二次林、草地、農地、集落は、いわばセットとなって伝統的農村景観を形成していた。その意味で、これらが一体としてとらえられるべきものであることは間違いない。
(武内和彦;1~3ページ)

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 里地と里山を区別したことは、わかりやすくなってよいのかもしれません。さらに付け加えるならば、里川という概念もあります。
 結論から言えば、里山ということばで想起する風景、場所、機能、イメージなどは、今となっては多岐にわたっているということですね。言い換えれば、里山に何を求めるのかによって対象が微妙に異なるのもアリだということかもしれません。
 もっとも、厳密な定義づけをするよりも、なぜ里山なのか(なぜ里山が必要なのか)、そこで何をするのかといったことを、しっかりと説明できることの方が重要なのは言うまでもありません。

 いきなりブックレビュー的ですが、この「里山の環境学」について一言。この点は、後々重要になってきますので、今のうちに指摘させていただきます。
 ↓
 この本、多くの著者が里山について記述しており、入門編としてはわかりやすいものになっています。しかし、経済的な視点から里山について触れている場面が圧倒的に少ないのです。また、バイオマスやボランティアによる里山管理など、新たな里山との関わりについても指摘されていますが、なぜそうしなければならないかというインセンティヴが弱々しいと言わざるを得ません。経済性や大きな目標を抜きにして里山管理を論じても、結局は趣味の延長としてしかとらえてもらえないのではないか・・・。その点がちょっと心配になりました。
 本書にあるとおり、里山はかつて産業と生活の場でした。これから重要視されるべき里山との関わりは、単なる懐古趣味やお楽しみで終わっちゃいけないことをビシッと言い切る必要を感じました。

 経済性や大きな目標に立脚しつつ、里山の意義をビシッと言い切ること・・・。それは本書に求めるべきものではなく、このブログの役目なのかもしれませんね。
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by senang | 2006-01-20 14:26 | 【0】センシブルワールド
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