死を見つめる
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 誰でも少なからず死を考えたことがあると思います。でも、死のとらえ方は人それぞれでしょう。死に対するイメージや考え方は統一的ではなく、死を迎える心構えや行動も様々だと思います。
 仮のルールとして、死を終着駅と位置づけてみましょう。現代の医学(西洋医学)は、死を迎えてはいけないものとして考えられているのかもしれません。終着駅に着くことを遅らせるため、どうにか線路を延長させようと頑張っているかのようです。端的に言えば、天寿を全うして死を目前にした方に対してまで、何とか生かそうと働きかけます。本人の意識とは関係のないところで、外的な作用によって生かされている例もあります。

 「死を迎えるための作法(心構え)」が今以上に一般的であってもよいと思います。死に対する医学的な対応としては、ホスピスという形で実施されているのかもしれませんが、やはり対処の一環に過ぎないと言えるでしょう。なぜなら、健康な方がホスピスで過ごすようなことはまずあり得ませんから。老いも若きも、死を考える機会が増えること、死を意識しながら日々を生きることがもっと必要なのかもしれません。我々は普段から、正面にある終着駅のホームをしっかりと意識しながら生きていきたいものです。終着駅に入るのがイヤだというのは、あまりにも非現実的でしょう。

 日本でも、死罪が今よりポピュラーだった時代や、切腹が文化として息づいていた時代がありました。しかし、当時は人の命が軽んじられていたからバタバタと殺していたのではないと思います。死がどういうものかを受け止め、生と死の両方を真剣に考えていた側面もあったと想像します。だからこそ、切腹なんかができたのかもしれません。

 細胞生物としての死は、地球で生まれた生き物全てに訪れます。なので、地球に生まれて死んでいくという命の循環は生物の基本原則と言えるでしょう。死ぬことは実は身近なことです。
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by senang | 2006-01-13 14:18 | 【0】センシブルワールド
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