里山 -一般化できないということが一般論-
 「里山とは何だ」ということを考えています。文献やネットをあたっているのですが、イマイチすっきりしません。それは、里山という言葉には非常に多くの意味なり状況が含まれており、到底ひとくくりにすることができないからだと思います。
 少なくとも今は、里山とは「一般化できないということが一般論である」と言っておきます。個別の事象を重視しなければならず、他所の事象で代替できない(あっちの山がいいからといってコピーしてこっちでも使うことができない)ということです。

 そうなると、里山には定義があるようでないことも理解できそうです。つまり、定義づけとは当事者が何を目的としているかによって異なってくるものですから、里山に求めるものが多様であればあるほど、定義も多様になります。定義がたくさんあること・・・それは、定義がないこと、あるいは、定義づけできないことと同義ではないでしょうか。
 敢えて里山を定義づけるのであれば、「人家周辺から奥山に至る間にあって、人の手が入る山」くらいのもので良いと思います。狭い定義づけは、それぞれの個人や団体が行えばよいことですし、それが正解だとか間違っているとかいうことはナンセンスです。里山にはそれだけ多くの顔があり、優しくもあり厳しくもあるわけですから。

 里山に対する個人的なイメージとして、知ろうすれば余計に見えなくなってしまうものという感覚を持っています。自分自身が地球のリズムをとらえきれていないからかもしれませんが、厳密なシステムが成り立っている反面、何でもありの場所という印象もあります。だからこそ、魅力的なものであり、畏敬の対象でもあります。

 そんな里山をこれからの活動の重点フィールドにしていこうと考えているところです。基本として「里山とは何だ」ということを引き続き考えていくことになりますが、世にある数多の里山観、里山の定義めいたもの、里山に関する研究などをできるだけ多く吸収するといった方法をとろうと思います。決めつけるのではなく、カテゴライズするのではなく、広く長い目で里山を見つめていきます。
 里山とは、「人間圏」の中に位置するものかもしれませんが、地球と「人間圏」を橋渡しするものとして重要な役割を持ち得ます。なので、新カテゴリも設けました。
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by senang | 2006-01-06 11:53 | 【0】センシブルワールド
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