「ふるさと」
 日本人であれば、誰しも唱歌「ふるさと」をご存じだと思います。そして、「兎追いしかの山・・・」などの歌詞に郷愁を感じる方も多いことでしょう。
 この歌について、「里山を考える101のヒント」(社団法人日本林業技術協会編)で、田中伸彦氏は次のように表現しています。
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 「ふるさと」は、今でも多くの人に歌い継がれ、日本の典型的な里山イメージとして定着しているといえます。この歌がつくられたのは、大正の初めごろといわれています。
(同書10ページ)
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 これ、軽めにショックでした。
 「ふるさと」の詞を思い出してみましょう。「夢は今もめぐりて 忘れ難き ふるさと」、「志を果たして いつの日にか帰らん」という部分があります。つまり、「ふるさと」とは、遠く離れてしまったノスタルジーの対象であり、いずこかで一旗揚げて帰郷し、錦に御旗を飾って余生を過ごすような場所なわけです。
 逆説的に言えば、里山は生活や命の最前線ではないということです。この路線に乗っかっている限り、里山は社会の経済システムとして機能しないどころか、そこからはじき出された場所だというのは言い過ぎでしょうか?
 何よりショックだったのは、そのイメージが大正時代には既にできあがっていたということです。里山の生き方や作法が崩れたのは、せいぜい高度経済成長期以降かと思っていましたが、その伏線は大正時代からあったのか・・・・と。

 これからの日本にとって、里山は生活や命の最前線であることが求められるでしょう。高度経済成長期以降、社会の変化があまりにも激しすぎて、里山復興は生やさしいことではないと思います。それでも、1世代分の時間とコストと意識によるものだとたかをくくっていたのです。しかし、里山崩壊の発生源は、高度経済成長期の親の世代、または祖父母の世代にまで遡らなければならないわけです。

 この唱歌に代わるような里山ソングも早くリリースしなくては・・・と、そんな思いに駆られました。
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by senang | 2006-01-04 10:51 | 【0】センシブルワールド
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