主観を滅して虹を見た時に
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 以前に虹のにおいを感じる人の話をしました。彼女にとっての虹は、視覚的にインプットされる情報のみならず、嗅覚にも訴えかけてくるものなのです。

 それはさておき・・・

 虹にロマンやファンタジーを感じる人もいれば、単なる景色の1つとしてとらえる人もいます。その違いが何かということを考えた時、自分はどちらなのかという問いも湧いてきました。しかし次の瞬間には、そんなことはどうでもいい、というより、どちらか一方に属するわけではないと感じ、その問いの意味を否定していました。
 実際には、ファンタジックな気分になる時もあれば、風景の1つとして感じる時もあります。むしろ、その差異をつきつめていく方が面白いのかもしれません。その差異は、人によって様々であると同時に、かなり主観的でもあります。また、状況や気分によっても差があります。
 個人的には、「当たり前」にそこにあるべき状態で虹がかかっている時は風景の一環として感じられ、やや「違和感を感じる」(=何となく当たり前ではない)時にファンタジックな気分になります。
 この「当たり前」という概念が主観的要素の最たるものなのです。当然ながら、僕にとっての当たり前と他の人にとっての当たり前は、完全に一致しません。言語やイメージによる共同幻想を形成できたとしても、何が当たり前で何が当たり前じゃないのかについては、特定の価値基準がなければ判断できません。
 その価値基準を限りなく客観的なものにしていった時、どのような世界が広がっているのでしょうか。「広がっている」といっても、どこかにびろ~んと広がっているわけではなく、自分の頭の中で展開している世界に過ぎないのかもしれません。

 そう考えながら改めて虹を見た時・・・
 赤~黄~青のグラデーションでできている1本の線が弧を描いて空中に浮いていて、その下には落葉間近の黄色や赤の葉を茂らせた落葉樹と常緑樹が混在している山があり、空は雨雲が途切れて光が差しているという、単なる情報の羅列のように見えてしまいました。さらに、虹に含まれる色彩の数や様相、弧の長さ、正確な円形ではないことなど、より詳細な部分に目がいきます。山の傾斜やくぼみ、雲の色や形についても同様です。
 情報の羅列をそれなりに受信した時、風景の一環だった虹が、自分の感受性に訴えかけてくるものとして意味を持ち始めました。それは抽象的なファンタジーとはちょっと異なる感覚です。そして、そこから虹も地球の一部分として意味を持っているという認識が芽生えていきました。
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by senang | 2005-12-27 12:08 | 【0】センシブルワールド
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